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尾曳稲荷神社の桜

館林市、尾曳稲荷神社境内の桜が満開でした。 尾曳稲荷神社(おびきいなりじんじゃ) 群馬県館林市尾曳町10-1 0276-72-1293 家内、交通安全・必勝祈願・商売繁盛・縁結び・合格祈願 天文元年(1532)赤井照光が創建したといわれ、築城の際、城郭の鬼門(北東)に建立したため、神社建築としては珍しい西向きの社殿である。天正18年(1590)館林城初代城主・榊原康政により再建されたという。毎月第3土曜日には、「尾曳稲荷骨董市」が開かれ、多数の人でにぎわう。館林七福神の弁財天にあたり、弁財天は 七福神の中の唯一の容姿端麗な女神といわれ、福寿・音楽・金運・弁舌才智・水の神様としてしられている。

投稿者:サイト名 新鮮美感
投稿日時:2010-05-03 14:44:16.0
視聴回数:544回
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カテゴリ: 地域    
タグ: 尾曳神社  

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松明あかし in 須賀川

http://plaza.rakuten.co.jp/sinsenbikan/diary/200911150000/ 日本三大火祭りに数えられる須賀川「松明あかし」は、毎年11月の第2土曜日、今年は14日に開催されました。場所は、須賀川市翠ヶ丘公園内・五老山一帯で行われました。松明あかしの由来は、伊達政宗に滅ぼされた須賀川城主・二階堂家とその家臣たちの霊を弔うために始まったといわれ、この地に400年以上続く伝統の火祭りです。五老山に奥州松明太鼓保存会の勇壮な太鼓の音が響く中、約30本の巨大な松明に次々に登り、火が放たれと周辺一帯にたいまつの火柱があがり、晩秋の夜空を赤々と焦がします。火の近くまでいくと汗をかくほど温まります。

投稿者:サイト名 新鮮美感
投稿日時:2009-11-15 12:57:31.0
視聴回数:1866回
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カテゴリ: 地域   ニュース全般      
タグ: 松明あかし   日本三大火まつり   須賀川市  

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二本松ちょうちん祭り 松岡太鼓台 

二本松ちょうちん祭りは毎年10月4日(宵祭り)5日(本祭り)6日(後祭り)の3日間開催されます。 二本松ちょうちん祭りは福島県二本松市にある二本松神社の例大祭です。 日本三大提灯祭りの一つに数えられており、福島県重要無形民俗文化財に指定されています。 伝統300余年、7台の太鼓台(本町(もとまち)・亀谷(かめがい)・竹田・松岡・根崎・若宮・郭内(かくない))にそれぞれ300個余りの提灯をつけて町内を曳き回す。 この二本松ちょうちん祭りは、いつごろから、なぜ始まったのだろうと調べてみましたら、今から366年前の江戸時代・寛永20年(1643年)に丹羽光重公が二本松城主として入部、「よい政治を行うためには、領民にまず敬神の意を昂揚させること」と考え現在の栗ケ柵に二本松神社をまつり領民なら誰でも自由に参拝できるようにしたのが、「提灯まつり」の始まりといわれているそうです。 祭りが始まる半年前から太鼓や笛の練習が始まるそうです。地域の先輩から後輩に伝えられるわけです。祭りを通して地域の連帯が生まれのでしょうね。祭りをいっしょにやることによってふるさと意識が植え付けられるでしょう。笛や太鼓のリズムが身体に染み込み祭りの季節がくると血がさわぐのかもしれません。鮭の遡上にも似ているかもしれません。 http://plaza.rakuten.co.jp/sinsenbikan/diary/200910090000/

投稿者:サイト名 新鮮美感
投稿日時:2009-10-09 23:03:54.0
視聴回数:1495回
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カテゴリ: 地域      
タグ: 二本松ちょうちん祭り  

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奇祭 うなごうじ祭り -豊川市-

豊川市牛久保町のうなごうじ祭を見てきました。この祭、神幸行列最後尾のやんようがみが寝転がる姿がうじ虫に似ていることから、うなごうじ祭と呼ばれるようになりました。三河の奇祭、うなごうじ祭りを是非一度ご覧になって下さい。

投稿者:サイト名 kochimika
投稿日時:2008-07-12 07:15:47.0
視聴回数:743回
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カテゴリ: 地域   国内旅行        
タグ: こちら三河放送局   イベント   行事   オリジナル   豊川市   八幡神社   牛久保   うなごうじ祭   若葉祭   奇祭   三河探検隊   城主   日本   Original   strange   event   festival   expeditionary   Japan   三河  

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静御前堂例大祭 ご詠歌奉納・長泉寺梅花講

「郡山の静御前伝説」 今から八百十余年昔のこと。 源義経は、兄の頼朝に都を追われ、平泉へと落ち延びました。 義経の恋人静は、下僕の小六と乳母のさいはらを共として、この地(郡山市大槻町花輪)に辿り着きましたが、義経はさらに遠く北の平泉と聞いて落胆します。その上、下僕の小六が亡くなってしまいました。悲しみに沈む静でしたが、この地の有力者「花輪長者」のせわになり針仕事を教えながら平泉に行く準備を進めました。 ところが、「義経様が討たれた」という悲しい知らせが届けられ、静御前はもはやこれまでと池に身を投げてしまいました。(この池は後に美女池と呼ばれました) 里人はこの美しい舞姫を哀れみ御堂を建てその霊を祀りました。 そして時が過ぎ戦国時代、毎夜怪しげな光が出て村人を恐れがらせていたので、時の大槻城主15代、伊東高行が光の正体をつきとめようとその場所を掘ると、地中から古碑が現れ、それが静のお墓とわかり、お堂を再建されました。 その昔、静御前堂の前に花輪長者の屋敷跡があり、お堂の後ろには、乳母さいはらが植えたという大きな桜の木が現在でも残っていて毎年見事な花を咲かせております。 http://www.shizukagozen.gr.jp 静御前奉賛会の資料から

投稿者:サイト名 Digital more
投稿日時:2008-03-28 13:58:19.0
視聴回数:2513回
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カテゴリ: 地域活性   国内旅行   プチ旅行        
タグ: 静御前     郡山市   郡山静御前伝説  

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