「郡山の静御前伝説」 今から八百十余年昔のこと。 源義経は、兄の頼朝に都を追われ、平泉へと落ち延びました。 義経の恋人静は、下僕の小六と乳母のさいはらを共として、この地(郡山市大槻町花輪)に辿り着きましたが、義経はさらに遠く北の平泉と聞いて落胆します。その上、下僕の小六が亡くなってしまいました。悲しみに沈む静でしたが、この地の有力者「花輪長者」のせわになり針仕事を教えながら平泉に行く準備を進めました。 ところが、「義経様が討たれた」という悲しい知らせが届けられ、静御前はもはやこれまでと池に身を投げてしまいました。(この池は後に美女池と呼ばれました) 里人はこの美しい舞姫を哀れみ御堂を建てその霊を祀りました。 そして時が過ぎ戦国時代、毎夜怪しげな光が出て村人を恐れがらせていたので、時の大槻城主15代、伊東高行が光の正体をつきとめようとその場所を掘ると、地中から古碑が現れ、それが静のお墓とわかり、お堂を再建されました。 その昔、静御前堂の前に花輪長者の屋敷跡があり、お堂の後ろには、乳母さいはらが植えたという大きな桜の木が現在でも残っていて毎年見事な花を咲かせております。 http://www.shizukagozen.gr.jp 静御前奉賛会の資料から
投稿者: Digital more
投稿日時:2008.3.28. 13:58
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