(お話です) 2 「ミシュナー・タルムード・ アヴォート篇」 「命の大切さと世界」 「慈善活動」 「御皇室」 「神宮」 「それはあたかも 全世界を救ったのと同じ」 It is as if he saved the Entire World ◎The Infinite Value of Each Human Life</色> from the Mishuna 一人の命を救う者は誰でも、それは彼があたかも全世界を救ったと同じである。 [ --- Mishuna Sanhedrin 4:5 ] タルムードに従うと、人間の命の無限の価値の証明は、神が最初に一人の人間、アダムだけを創造したことである。もしアダムが殺されていたならば、全ての人間は滅ぼされていた、そして反対に、彼が救われていたならば、全世界がそうなったであろう。 ユダヤ教の観点からは、各々の人が最高に重要であるということが多くを暗示する。その一つ、罪のない一人の人間を殺す人は、最終の罪を犯したことを意味する。さらに十人の人々を殺すことは、その罪の度合を増やすが、その激烈さを増やすものではない。この教えは、また社会的、政治的、そして経済的に同様な暗示をする。 Rabbi Irwin Kula が言っている: このタルムードの文章の光りの中に、各々の人間が、彼または彼女が無限の価値を持つかのように扱われるような世界をつくるために、我々が何を行なわなければならないか、それを我々は考え出す努力をしなければならない。実際に、一日に一ドルの食べものを欠くために人々が死ぬ時に、あらゆる人間が無限の価値があると言うことは、何の意味があるのであろうか? そのミシュナの中の同じ箇所が、アダムの創造から他の道徳的で論理的な学科を引き出すために、続けて書いている: from the Mishuna 人間の中での平和のために(ただ一人が最初に創造された)、それでひとりの人が彼の仲間に、「私の父はあなたの父よりも偉大であり...」と言うべきでない。 そしてまた神(聖なるお方、主よ祝福あれ)、の偉大さを示すために。人間が同じ鋳型で幾つかのコインを造るならば、それらは全て互いに同じ形である。しかし王の中の王である王(聖なるお方、主よ祝福あれ)は、全ての人間を最初の人間の鋳型で造った。そして、しかも彼らの一人は他の人と同一(identical)ではない。それゆえにあらゆる個人は、「私のために世界が創造された!」と言う義務がある。 [ --- Mishuna Sanhedrin 4:5 ] 悲しいかな、あらゆる個人の異なる型の一つの証明は、今日、主に犯罪学者たちに知られている。あらゆる人間は彼または彼女自身の指紋とオリジナルな面影を持っている: When To Give, What To Give, How To Give ( Why Tzedaka Is Not Charity ) いつ与えるか、何を与えるか、いかにして与えるか (なぜツェダカは慈善とは違うのか) from The Torah もし、あなたの中の貧しい同胞がいるならば .... その貧しい同胞に対して、心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、彼に大きく手を開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。 [ 申命記15:7-8 ] 慈善には8つの階級がある。各々はその次より高く、最も高い階級は、どれによっても越えることはできない。最高の慈善とは、貧しいユダヤ人に贈り物あるいはローンを与えることによって、あるいは彼を共同経営に参加させることによって、あるいは彼に仕事を見つけてあげるのを助けることによって、すなわち、他の人々の援助を分配することができる場所に彼を置くことによって、その貧しいユダヤ人を援助する人である。 [ --- Moses Maimonides,Mishuneh Torah, "Laws Concerning Gift to the Poor," 10:7 ] ユダヤ人の法律に従うと、慈善の最も高い形は、短期間であっても、それを必要としないことを保証することである。信頼おける慈善の継続は受取り人の勇気をくじく、という今日広く受け入れられていることを、マイモニデス(Moses Maimonides)は明白に直感していた。この理由で、彼が強調することは、貧しい人にローンを作り彼に仕事を見つけることである。
投稿者: 有馬徳彦
投稿日時:2012-06-10 11:15:17.0
視聴回数:23302回
お気に入り登録:0
カテゴリ:
暮らし全般
エンタメ全般
教育全般
タグ:
(お話です)
2
「ミシュナー・タルムード・
アヴォート篇」
「命の大切さと世界」
「慈善活動」
「御皇室」
「神宮」
「それはあたかも
全世界を救ったのと同じ」
It
is
as
if
he
saved
the
Entire
World
◎The
Infinite
Value
of
Each
Human
Life</色>
from
the
Mishuna
一人の命を救う者は誰でも
それは彼があたかも全世界を救ったと同じである。
[
---
Mishuna
Sanhedrin
4:5
]
タルムードに従うと
人間の命の無限の価値の証明は
神が最初に一人の人間
アダムだけを創造したことである。もしアダムが殺されていたならば
全ての人間は滅ぼされていた
そして反対に
彼が救われていたならば
全世界がそうなったであろう。
ユダヤ教の観点からは
各々の人が最高に重要であるということが多くを暗示する。その一つ
罪のない一人の人間を殺す人は
最終の罪を犯したことを意味する。さらに十人の人々を殺すことは
その罪の度合を増やすが
その激烈さを増やすものではない。この教えは
また社会的
政治的
そして経済的に同様な暗示をする。
Rabbi
Irwin
Kula
が言っている:
このタルムードの文章の光りの中に
各々の人間が
彼または彼女が無限の価値を持つかのように扱われるような世界をつくるために
我々が何を行なわなければならないか
それを我々は考え出す努力をしなければならない。実際に
一日に一ドルの食べものを欠くために人々が死ぬ時に
あらゆる人間が無限の価値があると言うことは
何の意味があるのであろうか?
そのミシュナの中の同じ箇所が
アダムの創造から他の道徳的で論理的な学科を引き出すために
続けて書いている:
from
the
Mishuna
人間の中での平和のために(ただ一人が最初に創造された)
それでひとりの人が彼の仲間に
「私の父はあなたの父よりも偉大であり...」と言うべきでない。
そしてまた神(聖なるお方
主よ祝福あれ)
の偉大さを示すために。人間が同じ鋳型で幾つかのコインを造るならば
それらは全て互いに同じ形である。しかし王の中の王である王(聖なるお方
主よ祝福あれ)は
全ての人間を最初の人間の鋳型で造った。そして
しかも彼らの一人は他の人と同一(identical)ではない。それゆえにあらゆる個人は
「私のために世界が創造された!」と言う義務がある。
[
---
Mishuna
Sanhedrin
4:5
]
悲しいかな
あらゆる個人の異なる型の一つの証明は
今日
主に犯罪学者たちに知られている。あらゆる人間は彼または彼女自身の指紋とオリジナルな面影を持っている:
from
the
Shulhan
Arukh
600
000人のユダヤ人を一緒に見ている人は次の祝福を暗唱している。「祝福されよあなた
主
我々の神
宇宙の統治者
賢いお方
あらゆる人の最も内部の考えを知っている人(すなわち
各々の人間の唯一さを正しく評価する人)」
[
---
Shulhan
Arukh
Orakh
Chayyim
224:5
]
ユダヤ人の法律の標準の法典であるShulhan
Arukh
のこの観点は
直感に反している。ほとんどの人々は巨大な群衆を見る時に
彼らの反応は
現われている各々の人の個性に焦点を当てることよりもむしろ
それを一つの巨大な集団
群衆(a
mob)と見ることである。
タルムードは同様に
大きな集まりの真ん中にいる一人の人に
現われている各々の人の知的な区別を思い起こすよう警告している:
from
the
Talmud
各々の心(mind)は他の人のそれと違っている
ちょうど各々の顔が他の人のそれと違っているように。
[
---
Babylonian
Talmud
Berakhot
58a
]
◎The
Many
Sides
of
Each
Individual
from
A
Hasidic
saying
どの人も二つのポケットを持たなければならない
彼の必要に応じて
彼が一方にあるいは他方に手を伸ばすことができるように。彼の右のポケットには
「私のために世界が創造された」という言葉があり
そして彼の左には
「私はごみであり灰である」
[
---
A
Hasidic
saying
quoted
by
Martin
Buber
Ten
Rungs
page
106
]
from
Yiddish
proverb
もし私が彼のようになる努力をするならば
いったい誰が私のようになろうとするであろうか?
[
---
Yiddish
proverb
]
ハシディックのラビ
Zusha(d.
1800)がよく言っていた:
私が死んで天の審判の前に来たときに
もし彼らが「
Zusha
よ
なぜお前はアブラハムのように偉大ではなかったのか?」こう私に尋ねるならば
私は恐れないであろう。「私はアブラハムの知的な能力を持って生まれて来なかった」
と私は言うであろう。そして
もし
「
Zusha
よ
なぜお前はモーゼのようではなかったのか?」
こう私に尋ねるならば
「私はモーゼの指導力の能力を持っていなかった」
と私は言うであろう。しかし彼らが
「
Zusha
よ
なぜお前は
Zusha
のようではなかったのか?」
こう私に尋ねた時には
私はどんな答えも持っていないであろう。
ハシディックのラビ
Menachem
Mendel
of
Kotzk(d.
1859)はこう主張した。人の特性はあらゆる出会いにおいて光り輝いている
そして彼または彼女が話しているその人を喜ばすためという理由で彼の本質を決して変えるべきではない:
If
I
am
I
because
I
am
I
then
I
am
I
and
you
are
you.
But
if
Iam
I
because
you
are
you
and
you
are
you
because
I
am
I
then
I
am
not
I
and
you
are
not
you.
もし私が私であるゆえに私が私であるならば
私は私でありそしてあなたはあなたである。しかし
もしあなたがあなたであるゆえに私が私であり
そして
私が私であるゆえにあなたがあなたであるならば
私は私ではなくそしてあなたはあなたではない。
When
To
Give
What
To
Give
How
To
Give
(
Why
Tzedaka
Is
Not
Charity
)
いつ与えるか
何を与えるか
いかにして与えるか
(なぜツェダカは慈善とは違うのか)
from
The
Torah
もし
あなたの中の貧しい同胞がいるならば
....
その貧しい同胞に対して
心をかたくなにせず
手を閉ざすことなく
彼に大きく手を開いて
必要とするものを十分に貸し与えなさい。
[
申命記15:7-8
]
慈善には8つの階級がある。各々はその次より高く
最も高い階級は
どれによっても越えることはできない。最高の慈善とは
貧しいユダヤ人に贈り物あるいはローンを与えることによって
あるいは彼を共同経営に参加させることによって
あるいは彼に仕事を見つけてあげるのを助けることによって
すなわち
他の人々の援助を分配することができる場所に彼を置くことによって
その貧しいユダヤ人を援助する人である。
[
---
Moses
Maimonides
Mishuneh
Torah
"Laws
Concerning
Gift
to
the
Poor
"
10:7
]
ユダヤ人の法律に従うと
慈善の最も高い形は
短期間であっても
それを必要としないことを保証することである。信頼おける慈善の継続は受取り人の勇気をくじく
という今日広く受け入れられていることを
マイモニデス(Moses
Maimonides)は明白に直感していた。この理由で
彼が強調することは
貧しい人にローンを作り彼に仕事を見つけることである。
from
The
Torah
もし同胞が貧しく
自分で生計を立てることができないときは
(文字通りには
「そして彼の手が落ちる」ときは)
寄留者ないし滞在者を助けるように
その人を助け
あなたはその人からローンの金利を取ってはならない
[
レビ記25:35-37
]
「そして彼の手が落ちる」という語句に関して
あるラビの注解では
人は彼をひどい貧乏に落とすことを許してはならない
と教えているこの命令は
ロバの背に重い荷物の話に類似して説明されよう。ロバが立っている限りは
一人の人が
ロバを押さえてそして荷を乗せる。しかしロバが倒れてしまうと
五人の人ですら
ロバを起き上がらすことができない。
[
---
Sifra
Leviticus
on
25:35-38
]
この命令
「あなたはその人からローン金利を取ってはならない
....」に関して
聖書の法律は
実際に
「全て」のローンの金利をとることを禁止している。しかし古代のユダヤ人の生活が
独占的な農耕経済から
農業と結合した経済
小さな事業に拡張した時に
事業の利益を分配することによって
貸し手に金利を稼ぐことを許した法律「合法的なfiction」をラビたちは制定した。
私はこれを「合法的なfiction」と呼び
そして通常の投資とは呼ばない。なぜならば
貸し手は
その事業が利益を出そうが出すまいが
彼の設定した割合を「稼ぐ」からである。
しかしこの法律条項は事業の利益だけに適用している。今日までユダヤ人は
必需品を買うための人にまで拡張されたローンに関しては
どんな金利を集めることも禁止されている。ユダヤ人の共同社会は
歴史を通してずっと
貧乏人に金利無しのローンを拡張するために
(貧乏人とは
繁栄を続けることを避けることに努力している人々)「Free-Loan
Societies」(ヘブライ語の”Gemakh”として知られている)を設立してきている。
あらゆる人の必要が
ローンや仕事の提供で満足されるわけではないので
ユダヤ人の伝統では
慈善に関連して二つの別個の提言をしている。貧乏の危機にある人々には
繁栄に変わるためにあらゆる可能性の選択を試みるように主張
そして莫大な財産を所有している人々には
寛大さを主張している。
The
Jewish
Message
To
The
Poor
貧乏の人々へのユダヤ教の教え
from
The
Talmud
通りにある動物の死体の皮をはいで
そして賃金を稼ぎなさい。そして「(私を援助してくれ)
私は偉大な賢者であって
この仕事は私には品位を落とす」
と言わないように。
[
---
Babylonian
Talmud
Bava
Bathra
110a
]
あなたの安息日(の食事)を平日(の質素な食事)のようにしなさい
そして他人に援助を求めないように。
[
---
Babylonian
Talmud
Bava
Bathra
118a
]
いくつかのラビの書物は
貧乏人に対して難かしい論理的議論を創造した。一方で
どんな選択もないときには
彼らに慈善を受け入れるように命令している。他方で
できるだけ長くその日を遅らす人々を称賛している。
老人
病人
あるいは非常に苦しんでいる個人のような慈善を受けることなしには生き残ることができない人で
しかも助けを頑固に拒む人は誰でも
自分を殺すという罪になる
...
しかし慈善を必要としているが
それを取るのを遅らせて
そして共同社会に面倒をかけないように貧しく暮らす人は
他人のために支給するように生活しなさい。
[
---
Rabbi
Jpseph
Karo(1488-1575)
Shulkhan
Arukh(The
Code
of
Jewish
Law)
Yoreh
Deah
255:2
]
19世紀の
Vilna
で
ある裕福な男が彼の全ての財産を失った。彼は貧乏であることを大変に恥じて
彼の立場を誰にも知らせなかった
そして実際に栄養不良で死んでしまった。Rabbi
Israel
Salanter
(1810-1883)が恥じた町の人々を慰めた。「その男は飢えで死んでしまった
しかし自尊心が過渡であった。もし彼が自発的に助けを他人に求めて
そして彼の立場を打ち明けていたならば
彼は餓死することはなかったであろう。」
[
---
Based
on
Shmuel
Himelstein
Words
of
Wit
page
169
]
慈善を受け取る人が
自分自身を乞食以上に価値がないとして見ることを妨げるために
ラビは注目すべき法律を制定した。
慈善で生き残っている貧乏人でさえも
慈善を与えるべきである。
[
---
Babylonian
Talmud
Gittin
7b
]
Back
to
this
page
top
The
Imperative
To
Respond:
Judaism's
Message
To
Everyone
Except
The
Poor.
応答すべき命令:貧乏の人々を除いたあらゆる人へのユダヤ教の教えユダヤ人の法律は
成功した市民が慈善を与えない理由で
貧乏の人々に向けた教えを引用することを意図していないし
あるいは
その教えを使うことで
物乞いに屈辱を与えることを意図していない。(例えば
「なぜあなたは町で動物の皮をはぎに行かないのか?」といった屈辱
など)
もし金持ちが貧乏人にこう言うならば:なぜあなたは出ていって仕事を見つけに行かないのか?あれらのものを見よ!
あれらの両足を見よ!
あの腹を見よ!
あの筋肉を見よ!その時
主なる神がその金持ちに言うであろう:あなたが彼にあなたのものを何も与えていないということで
あなたにとって十分ではないのか?あなたは
わたしが彼に与えたところのものを
また
ねたまなければならないのか?
[
---
Leviticus
Rabbah
34:7
]
ユダヤ人の教科書が
金持ちの人々に向けている時は
それらのメセージは貧乏の人々への教えとは全く違っている:
慈善は
他の全ての戒律を結合したものに
重要さにおいて等しい。
[
---
Babylonian
Talmud
Bava
Bathra
9a
]
内密に慈善を与える人は
モーゼよりも偉大である。
[
---
Babylonian
Talmud
Bava
Bathra
9b
]
しかしながら
英国のユダヤ人作家
Chaim
Bermant
が皮肉を言った
この種の偉大さは
「ユダヤ人がめったに熱望しないところの一つである。」
マイモニデスに従うと
匿名の寄付は慈善の第2番目に高いランクである。(寄付する側と受け取る側が互いに知らない
すなわち第三者あるいは慈善の組織を含む)私の祖父
Rabbi
Nissan
Telushkin
の聖なる記憶であるが:
昔
貧しくなったあるラビの学生に対して生計の金が必要となった。祖父は
他のラビたちに彼への請願を呼びかけた
しかし受取人の身元を漏らすかもしれない全ての情報は隠した。Cincinnati
のある男
Rabbi
Eliezer
Silver
が祖父に金額欄が空白のままのサインのあるチェックを送ってきた。それにはこう書いてあった
「あなたは受取人の環境と身元を全体的によく知っている人であるので
あなたのみが
記入されるべきた正しい合計を知っているのです。」
マイモニデスが最も低いレベルとして
慈善の8番目のレベルと指摘したのは
人々がしばしば驚嘆する
「気難しく与える人」である。
(Mishuneh
Torah
"Laws
Concerning
Gifts
to
the
Poor
"
10:14)
もちろん
少しも与えないよりはいやいやなでも与える方がまだよいが。理想的には
人は喜んで与えるように熱望すべきである。数年前に
United
Jewish
Appeal
キャンペーンスローガンが勇気付けていた。「それが不都合とならないまで与えなさい!」
Leover
として知られているあるハシディックのラビが
こう教えた。もし人があなたに助けを求めにやって来た時に
「神があなたを助けるでしょう」
とあなたが彼に告げるならば
あなたは神に不信義な行ないをしている。なぜならば
神はあなたに貧乏な人を助けるように送ってきたのであり
その貧乏な人を全能なる神に追い返えさないように
とあなたは理解すべきである。
[
---
Based
on
Lionel
Blue
with
Jonathan
Magonet
The
Blue
Guide
to
the
Here
and
Hereafter
page
168
]
Nikolsberg
の
Rabbi
Shmelke
(d.1778)
が言った:
貧乏人があなたに助けを求めにやって来る時は
彼を助けないための口実として
彼の欠陥を使ってはいけない。なぜならば
その時は
神はあなたの罪を探すであろう
そして神は多くを見つけるに違いない。
Arthur
Kurzweil
は言っている:
この引用は
金を求めている酒飲み人を扱っている時に
何らかの助けとなる。「彼は酒にそれを使うだけだ」
という理由で私が彼に金を拒むことは
助けにはならない。
[
---
The
Treatment
of
Beggars
According
to
Jewish
Tradition
page
110
]
乞食の問題に関しては
何が道徳的に正しいか私は知らない
と告白する。
この問題の議論に関して
ほとんど全ての慈善的な組織そして社会のために働く人はコメントした:乞食に与えることは
乞食に対しても
そして継続的に世話する所に対しても
結局は悪い。多くの数の乞食によって洪水のようになった時
私は自分の行動に一貫性がないのを見ている。(私が住むNew
York
City
の歩行者は
一日に20回以上もしつこくせがまれる)私がいつ誰に与えるかを決定する明白な理論的な解釈なしに
私はある人には与え
他の人には通り過ぎる。
私がただ知っていることは
「わたしはずっと食べていない
わたしは腹ぺこだ」
と誰かが言う時に
歩き去るのが難しいと私が見ていることである。もし人が(いくらかの)慈善を与えることを避けるために彼の目を閉じるならば
それはあたかも彼が偶像崇拝の罪を犯している。
[
---
Babylonian
Talmud
Ketubot
68a
]
けちくさいことと偶像崇拝との間の見たところこじつけの関係は
近代のタルムード学士
Rabbi
Adin
Steinsalz
によって解説されている:
彼の金が
神から来ているということを知っている人は
彼の金から貧乏人に与えるであろう。しかし貧乏人に与えない人は
彼自身の力(そして知恵)が単独に彼の持っている全てに責任があると明白に信じている。彼が彼自身をあらゆるものの排他的な源泉であるとして断定する限りにおいて
これは偶像崇拝の一つの形である。
[
---
Commentary
on
Ketubot
page
302;
Hebrew
edition
of
Steinsalz
Talmud
]
主要な現代ラビの名士である
Rabbi
Israel
Meir
Ha-Kohen
Kagan
(1838-1933)
彼はthe
Haffetz
Hayyim
として知られている人
彼はこのタルムードの格言を聖書の句に結び付けている:「あなたは
あなた自身のために銀の神
金の神を造ってはいけない(出エジプト記20:20)」
すなわち金や銀を神にしてはいけない。(Ahavat
Chesed
Chapter
10)
ラビたちの観点では
偶像崇拝のローマ社会の破滅的な特徴の一つは
芸術の美的に先進的ではあるが
貧乏人に対する残酷な無関心にあった。ある賢者の報告にある。Rabbi
Joshua
ben
Levi
がローマに行った時に
彼は
布で覆われた大理石の寝台を見た。暑さからひび割れせずに
寒さから凍らないように。彼はまた
ある貧乏人が下にわらのマットだけ
上にわらのマットだけ
であるのを見た。
[
---
Pesikta
de-Rav
Kahana
9:1
]
我々は
イスラエルの貧乏人と一緒に生活している非ユダヤ人の貧乏人を支援する。
[
---
Babylonian
Talmud
Gitten
61a
]
back
to
this
page
top
◎Steady
Giving
習慣的な寄付
from
the
Shulkhan
Arukh
祈りの前に慈善を与えることは良いことである。
[
---
Shulkhan
Arukh
Orakh
Chayim
92:10
]
今日最も伝統的なシナゴークでは
ウィークデイの朝の祈りのサービスの間
(安息日や祝日には金を扱うことが禁止されている)小さな「プシュケ(慈善箱)」が回される
そして人々は貢献することが期待されている
たとえただ僅かな金額であっても。
ふさわしい一人に千の金貨を与える人よりは
それぞれがふさわしい理由のある千の異なった機会に千の金貨を与える人の方が
寛大である。
[
---
Anoymous;
sixteenth
century
Orhot
Zaddikim
(The
Ways
of
the
Righteous)
]
その著者はこう仮定しているものと私は信じている:散発的
衝動的よりは
むしろ習慣的に寄付する行為が人をより寛大になるために慣らす。それがすなわち
安息日に入る直前の毎金曜日の午後に
子供たちに慈善箱の中に金を入れるように習慣とし続けている理由である。これは
今でも多くのユダヤ人によって守られている。
from
the
Talmud
断食の長所は(分配された)慈善である。
[
---
Babylonian
Talmud
Berakhot
6b
]
このタルムードの注釈として
中世の学士
the
Maharasha
は説明している:断食の前には
人々は彼らが食べないことによって節約した分の金を慈善として分配する習慣があった(Babylonian
Talmud
Sunhedrin
35a)。不幸にして
この美しい習慣はほとんど全ての現代のユダヤ人に知られていない。それは復興すべきである。
back
to
this
page
top
◎How
Much
Charity
Should
A
Person
Give?
一人がいくらの慈善を与えるべきか?理想的には
人は彼または彼女の収入の10パーセントを最小として寄付すべきである
ユダヤ人の法律では下限と同様に上限を置いているけれども。寄付をしたい人は(一般的に)彼の収入の五分の一以上を与えるべきではない
さもなければ彼が慈善を必要とするようになるからである。
[
---
Babylonian
Talmud
Ketubot
50a
]
修道僧の命令を引受る貧困の誓いによって集約されているように
初期のクリスチャンの貧乏の理想化に対して
タルムード法律は対象的にそれ応答している。ラビたちは貧乏を呪いとして見ていた:
この世には貧乏以上に耐えることが難しいものは他になにもない。なぜならば
貧乏によって潰された人はこの世のもめごとの全てがくっついて離れない人のようである...。我々のラビは言った
「もし
この世の全ての苦難と痛みが(天秤の一方に)集められ
貧乏が他の側に集められたならば
貧乏の方がより重いであろう」
[
---
Exodus
Rabbah
31:14;
→この本の第61章を見よ
]
このように
もしそれが正直な方法においては
財産のある人は適切な量の慈善を与える限りは
ユダヤ人の法律は富の蓄積を何か悪いこととは決して見ていない。
慈善の最低額と最高額を設定する場合
その心理学的な知恵は二つの部分からなる:
一つは
彼らがそれ以上を与えるようにと人々を勇気づける。(彼らの収入の2から3パーセントを慈善に与える人は
普通
彼ら自身気前が良いと考えている
と私は見ている)もう一つは
必要な額を寄付した敏感な人々に
彼らの所有を罪なしで楽しむことを可能にする。
◎But
Aren't
Many
Beggars
Fakers
?
しかし多くの乞食たちのほとんどは大ぼら吹きであると主張して
乞食に金を与えない人々(おそらく我々を含めて)を我々はみな知っている。ユダヤ人の史料は
この議論をいかに扱っているであろうか?
from
the
Talmud
ラビ・ハニナは貧しい人を知っていた。毎回きちんと
安息日の前に
彼に4ズジームの金銭を送っていた。ある日
ラビ・ハニナが妻を介してその金額を送った。彼女は帰ってきた
そしてその男はそれをもらう必要はないとラビ・ハニナに言った。(ラビ・ハニナは妻に尋ねた)お前は何を見たのか?(彼女は答えた)私は
彼がこう質問されていたのを聞いたのです:「あなたの安息日の食事は
銀色の食卓ですか
あるいは金色の食卓ですか?」(ラビ・ハニナは彼女に答えた)Rabbi
Elazar
ben
Pedat
が言ったのはそんな場合のためである:
「我々は
貧乏人の中に不正直な者たちがいるのをありがたく思うべきである。
もし彼らがそうでなければ
(あらゆる乞食の現われに応答していない)我々は
毎日罪を犯していることになるのだから。」
[
---
Babylonian
Talmud
Ketubot
68a
]
このアプローチは
あるハシディックなラビによって補強されている。Rabbi
Chaim
of
Sanz
(d.
1786)
は言った:慈善の長所は偉大なので
私は百人の乞食に喜んで慈善を与える
たとえ実際に必要としているのがその中のたった一人であっても。しかし何人かの人々は
一人がにせものだという事実をもって
百人の乞食に慈善を与えることを拒むように行動している。Rabbi
Chaim
の誇大な声明にもかかわらず
ラビたちは
裕福なごまかしの乞食を
彼らの盗癖のゆえに
そしてある人々に慈善を与えることを遠ざけているゆえに
軽蔑した。命令によって大ぼら吹きな乞食たちを消し去ることは不可能であったので
ラビたちは彼らの嘘を真実に変えるために天国に熱望した:我々のラビは教えた。もし人がめくら
膨れた腹
あるいは縮んだ足を持っているふりをしているならば
彼は
実際にそんな状態になる前にこの世を去ることはないであろう。
慈善を受け取る人が
それを必要としない人ならば
彼の終わりはこうなる:
「実際にそんな状態(慈善を受け取る必要のある人)になる前にこの世を去ることはない」
[
---
Babylonian
Talmud
Ketubot
68a
]
from
the
Talmud
タルムードは教えている
人は一人の乞食に多額を与える必要はないけれども
少なくとも少額を与える努力をすべきである。マイモニデスは規定した
人が全く何も与えないならば
人は少なくとも楽しい挨拶を広げるべきである。
これは重要な与えられたガイドラインのように見える。我々の多くが
大きな都市に溢れている乞食たちに冷たく向っている。
ある貧乏人が
「私に着物を与えてくれ」と言う時
彼は調査されるべきである(彼にだまされないように)。ある貧乏人が
「私に食べものを与えてくれ」と言う時は
彼は調査されるべきではない(すぐに食事を与えなさい
調査中に餓え死にしないように)。
[
---
Babylonian
Talmud
Bava
Bathra
9a
]
昔
Kovno
の町に一人の乞食がやって来た
そして住民から多額の金を集めた。その町の人々はすぐに彼が詐欺師であることを発見した。彼は実際に裕福な男であった。町の評議会は
Kovno
の町に乞食がお金を集めにやってくるのを禁じる条例を作りたかった。Kovno
のラビ
Rabbi
Yitzchak
Elchanan
Specter
(1817-1896)
がその提案された条例について聞いた時
彼は評議会の前に来て話す許しを求めた。彼は言った
「誰があなた方をだましたのですか。金を必要としている人ですか
裕福な人ですか?それは貧乏のふりをした裕福な人であったのです。もしあなた方が条例を作りたいならば
義援金を集めるのを禁ずるのは
金を必要としている乞食ではなく
裕福な人たちを禁じるべきです。」
[
---
Irving
Bunim
Ethics
from
Sinai
Vol.3
page
121
]
◎Isn't
It
God's
Will
That
The
Poor
Be
Poor
?
貧乏人が貧しいのは神の意志なのか?
from
the
Talmud
タルムード時代のラビは
貧乏人の苦しみは神の意志であるに違いない
という今ではめったに引用されない議論をしばしばさせられた。事実
ある有名なローマの高官によって
タルムードの偉大な賢者に提出された議論がある。
Rabbi
Meir
は言ったものだ。あるユダヤ教への批判家が
あなたに対して議論をしかけてくるかもしれない
「もしあなたの神が貧乏人たちを愛しているならば
なぜ神は彼らを支援しないのか?」彼に言いなさい
「貧乏人たちを通して
我々が死んだ後に我々が罪から救われるためである。」実際に
Turnusrufus(ユダの地のローマの高官)によって
ラビに出された質問。「もしあなたの神が貧乏人たちを愛しているならば
なぜ神は彼らを支援しないのか?」ラビは答えた
「貧乏人たちを通して
我々が死んだ後に我々が罪から救われるためである。」Turnusrufusは言った
「いや
ちょうど反対に
これゆえに
あなたが死んだ後にあなたは罪を追求される。私はたとえ話を通してあなたにそれを証明しよう。これを想像しなさい。ある意地の悪い王様が
彼の召し使いに怒って
彼をろうやに閉じ込めた。そして彼に食べ物も飲み物も与えないように命令した。そしてある男がやって来て
彼に食べ物と飲み物を与えた。もしその王様が聞いたならば
はたして彼はその男を怒らないであろうか?」
ラビは彼に答えた
「私はたとえ話を通してあなたに答えよう。これを想像しなさい。ある意地の悪い王様が彼の息子に怒って
彼をろうやに閉じ込めた。そして彼に食べ物も飲み物も与えないように命令した。そしてある男がやって来て
彼に食べ物と飲み物を与えた。もしその王様が聞いたならば
はたして彼はその男に褒美をあげないであろうか?」
[
---
Babylonian
Talmud
Bava
10a
]
ラビは
Turnusrufus
がいう貧乏は神からの罰であるという議論を受け入れたように見えるけれども
貧乏の人々は神の子供たちであり
そしてそれに従って扱われる権利を与える
と彼は主張し続けている。最も重要なことは
貧乏人への我々の助けを神が喜ぶと主張していることである。加えて
神の子供たちであることは
貧しい人々を食べ物
飲み物
お金だけでなく
同様に
恥をかかせないですませる権利を与える。
◎Guarding
The
Dignity
Of
The
Poor
貧しい人の自尊心は幾つかの方法で安全に守られる。
1.
貧乏のある数量は避けられない
ということをあらゆる人に思い起こすことによって
自尊心は守られる。
私が命令したあなた方の土地に
貧乏人が絶えることは決してないであろう
だから
貧乏人に対してあなた方の手を開きなさい。
[
申命記
15:7-8
]
2.
金持ちの人々が
慈善を通して神の命令を果たすために
個人的な「必要」を持っている
ということを教えることによって
自尊心は守られる。
Rabbi
Joshua
ben
Hananiah
は言った:金持ちが(慈善を与えることによって)
貧乏人のためにするよりも
貧乏人が(慈善を受け取ることによって)
金持ちのために多くする。
[
---
Leviticus
Rabbah
34:11
]
Rabbi
Joshua
の教えは
ユダヤの民間伝承である「shnorrer(乞食)」のイメージを創造することを助けた。(Sigmunt
Freud
が引用した
Jokes
and
Their
Relationship
to
the
Uncinscious
)
多くのジョークの中で
「shnorrer(乞食)」は恥じるべきで服従的であるよりも
むしろ誇るべきそして肯定的である。乞食は寄付する人の金に「権利がある」と感じている
なぜならば
彼は寄付する人に「戒律」を実行するための機会を与えることで大きな好意をしている。一つの意味深い話ある:
「shnorrer(乞食)」が毎週ある男から決まった寄付を受け取る習慣があった。ある日
彼は金を求めてやって来る時
その男は彼に何も与えることができないと言う。「私は最近恐ろしく出費をしてしまった。私の妻がたいへんな病気になり
そして私は彼女をCarlsbadの健康保養地に送った。そこはとても寒かったので
私は彼女に新しい衣服と毛皮のコートを買ってしまったのだ。」「何と!」
その乞食は叫んだ。「私の金で?」
3.
裕福な人々の現在の経済状態が劇的に変化する
ということを彼らに印象付けることによって
自尊心は守られる。Rabbi
Hiyya
は彼の妻に忠告した
「貧しい人が玄関に来るならば
素早く彼に食べ物を与えなさい
その同じことがあなたの子供たちになされるように」彼女は絶叫した
「あなたは子供たちを呪うのですか(彼らが乞食なるように暗示して)」しかしRabbi
Hiyya
は答えた
「この世界は回転している車輪である」
[
---
Babylonian
Talmud
Shabbat
151b
]
人は
生活は回転している車輪のようであり
最後には彼あるいは彼の子供あるいは彼の孫たちが慈善をもらうように変えられるかもしれない
という事実を深く考えるべきである。それゆえ彼は「貧乏人に与えることによって
いったい私がどれほど私の富を減らすことになるのか?」と考えるべきではない。そうでなく
彼の富が彼自身のものではなく
預金者(神)の意志としての信用として彼に預金されただけであるのだ
と理解すべきである。
[
---
Abridged
Code
of
Jewish
Law
by
Rabbi
Solomon
Ganzfried
(1804-1886)
34:1
]
ある正直な男
Reuben
が
Shimon
に金を貸してくれるように求めた。ためらいもなく
Shimon
はローンを与えた
しかしこう言った
「私は実際にこれを贈り物としてあなたに与える」Reuben
はたいへん恥じて
そして当惑させられた。それで彼は決してShimon
に再びローンを求めることはなかった。明らかに
この場合は
Reuben
にその種の贈り物を与えないほうが良かったであろう。
[
---
Judah
the
Pious
Sefer
Hasidim
(the
thirteenth-century
Book
of
the
Pious)
paragraph
1691
]
疑いもなく善意であるけれども
Shimon
の振る舞いは受け取り手に屈辱を与えた
彼がもはや平等でなく
より低い社会レベルの乞食であるという感じを与えることによって。このエピソードは私にこうした評論を思い起こす:昔
ラビがある大博愛主義者を論評をした
「彼は
本当に良い人間であるように
あまりにも多くの慈善を与えるのが好きである」すなわち
彼は与えることで慈善を受けている他の人々から
あまりにも多くの満足を引き出している。
◎Subtlety
In
Giving
与えるときの敏感さ
著名な20世紀の正当派の賢者
Rabbi
Aharin
Kotler
彼は自分の振る舞いが注意深い調査にさらされたのを知っていた。昔
彼がシナゴーグに入ってゆき
そして再び出てきた時に
彼が同じ乞食にお金を与えているのを観察された。なぜ彼が同じ男に二度与えたのかと質問された時に
Kotlerは答えた
「自分がその貧乏人を見過ごしている
と誰かが見ていて
その男が援助される価値がないと判断するかもしれないことを恐れた」
◎If
All
Else
Fails:
Pragmatic
Reasons
For
Giving
Charity
慈善を与えるための実用本位な理由
慈善は死から救う。[
---
箴言
10:2
]
ほとんどのユダヤの文献はこのことを
慈善は寄付する人を早い死から救うという意味であると理解している。多分この句は文字どおりに
慈善は受取人を救う
と翻訳されるべきである。
ある人が
「私はこのコインを慈善に与えている
私の子供が生きるように」
あるいは「次の世界の中に私がそれを作るように」
と言うならば
彼は完全に正当であると認められる(彼の自己本位な動機であるにもかかわらず)。
[
---
Babylonian
Talmud
Pesachim
8a-b
]
Something
Greater
Than
Charity:
Gemilut
Chesed
Acts
Of
Loving-kindness
慈善よりも偉大なこと:Gemilut
Chesed
愛のある親切な行動
from
the
Talmud
我々のラビは教えた:「愛のある親切な行動(Gemilut
Chesed)」は3つの方法で慈善よりも偉大である。慈善は
人の金でなされる
一方
「愛のある親切な行動」は
人の金でなされるか
あるいは
人自身でなされる。(例えば
病人に時間を費やすこと)慈善は
貧乏人のみに与えられる
一方
「愛のある親切な行動」は
貧乏人と金持ちの両方に与えられる。(例えば
喪中あるいは気のふさがった人を慰めること)慈善は
生きている人にのみ与えられる
一方
「愛のある親切な行動」は
生きている人と死んだ人の両方に与えられる。(例えば
貧しく死んだ人に対して正しい埋葬を整えることによって)
[
---
Babylonian
Talmud
Sukkot
49b
]
ラビは
神を
愛のある親切な行動の原形の模範であると考えた。トーラ自体が
人々に主の道を歩くように命令している。
(申命記13:5)
神が裸の人に衣服を着せた----それゆえ
あなたもまた裸の人に衣服を着せるべきである。「そして主はアダムと彼の妻のために皮の衣服を作った
そして彼らに着せた」
(創世記3:21)
神が病人を訪問した----それゆえ
あなたもまた病人を訪問すべきである。「主はマムレのテレピンの木のそばで
(アブラハムに)現われた」
(創世記18:1
これはアブラハムが90才で割礼をしてすぐ後であった)
神が死人を埋葬した----それゆえ
あなたもまた病人を埋葬すべきである。「主はモアブの谷で(モーゼを)埋葬した」
(申命記34:6)
神が喪中の人を慰めた----それゆえ
あなたもまた喪中の人を慰めるべきである。「そしてアブラハムの死んだ後
主は彼の息子イサクを祝福した」
(創世記25:11)
[
---
Babylonian
Talmud
Sotah
14a]
そのラビは
卓越と同等に
死人の埋葬を「愛のある親切な行動」として見た
なぜならば
「受取人」である死人に
必然的にその良い行動の見帰りを支払うどんな希望もないからである。実際
Haffetz
Hayyim
は「愛のある親切な行動(Gemilut
Chesed)」を
「人が見帰りとして何も得ないで
他人のために行なう良い行為」として定義した。
◎A
Final
Thought
一つの最終的な思想
人は
物質的なもの以上に精神的に関係を持つべきである
しかし他の人の物質的な繁栄は
その彼自身の精神的な関心事である。
[
---
Rabbi
Israel
Salanter
(1810-1883)
founder
of
the
Mussar
movement
a
movement
that
put
particular
emphasis
on
ethical
self-improvement
]
ロシアの宗教的
な理想主義者
Nikolai
Berdyaev
(1874-1948)
はより詩的に同じ考えを表した。私自身のためのパンの質問は
物質的な質問である。しかし私の隣人のためのパンの質問は
精神的な質問である。
アヴェ・ヴェルム・コルプス (お話です) 2 ユダヤ教についてとイスラエルの歴史についてとキリスト教とユダヤ教の歴史について タルムード ユダヤ教の聖典は『旧約聖書』ですが、冒頭の5書、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」は特に重要とされ「モーセ五書」または「トーラー」(律法)と呼ばれます。さらに、モーセが神から授けられた法で、成文におこされずに口伝で伝えられたものがあり、この口伝は3世紀頃に文書におこされ「ミシュナー」と呼ばています。このミシュナーと、ミシュナーをラビが解釈した「ゲマラ」から作成された日常生活の規範と、時代時代に対応した生きざまを記したものがタルムードです。 タルムードは、6部構成、63編から成る文書群で、現代のユダヤ教の主要教派のほとんどが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活、信仰の基となっているといわるものです。 ■ ユダヤ王は真の世界の法王、世界にまたがる教会の総大司教となる。だが、一方で、われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に、後にはわれわれの宗教で再教育する間、われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども、教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。その場合、一般的には、われわれの現代社会はゴイムの国家問題、宗教、ゴイムの無能さを断罪し続けるが、常に、わが民天与の才能を振い、あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく、罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。<十七> ■ 重ねて述べるが、臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては、盲目的に服従する。彼らはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……彼らは王者に天使の心を期待するのか? 彼らが王者に見たいのは力、力、力の権化なのである。<二十三> ■ ダヴィデ王の子孫のうちの数人が、相続権ではなく優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には、政治の最高機密と政府の仕組とが伝授されるが、常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は、このような秘義を授けられたことがない者には、政府を委すことはできないということを徹底させることにある。これらの人々にのみ、何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ、私がこれまでに述べたような計画の実際化や、政治経済運動や社会科学研究の全成果-一言で言えば、人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理-が伝授される。<二十四> ■ たとえ残忍であったとしても無条件に断固たる人物にのみ、われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。……通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて、最も親しい助言者たちにも知らされない。王と三人の顧問のみが、将来の計画を知っている。断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には、万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので、あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に、前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは、そのためである。<二十四> ■ ユダヤ王は自分の感情、とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも、荒々しい本能に精神をしのがせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも、明晰に見る力を殺ぎ、思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。ダヴィデの聖なる子孫である全世界統治王その人は、人類の支柱であり、人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない。<二十四> ■ あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。(申命記、七章六) ■ 主はあなたの意のままにあしらわせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。 (申命記、七章二)。 ■ 世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして、他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼らはことごとく空皮に過ぎざればなり。<イェシャヤ法師> ■ 神言い給う、我は我が予言者を畜獣に過ぎざる偶像崇拜の徒の為に遣わしたるにあらず。人間なるイスラエル人の為に遣わしたるなり。(ミトラシュ・コヘレート) ■ 人間の獣に優れる如く、ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。<アブラハム・ゼバ法師>
投稿者: 有馬徳彦
投稿日時:2012-05-31 12:43:35.0
視聴回数:18418回
お気に入り登録:0
カテゴリ:
暮らし全般
エンタメ全般
教育全般
タグ:
アヴェ・ヴェルム・コルプス
(お話です)
2
ユダヤ教についてと
イスラエルの歴史についてと
キリスト教とユダヤ教の歴史について
タルムード
ユダヤ教の聖典は『旧約聖書』ですが
冒頭の5書
「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」は特に重要とされ「モーセ五書」または「トーラー」(律法)と呼ばれます。さらに
モーセが神から授けられた法で
成文におこされずに口伝で伝えられたものがあり
この口伝は3世紀頃に文書におこされ「ミシュナー」と呼ばています。このミシュナーと
ミシュナーをラビが解釈した「ゲマラ」から作成された日常生活の規範と
時代時代に対応した生きざまを記したものがタルムードです。
タルムードは
6部構成
63編から成る文書群で
現代のユダヤ教の主要教派のほとんどが聖典として認めており
ユダヤ教徒の生活
信仰の基となっているといわるものです。
■
ユダヤ王は真の世界の法王
世界にまたがる教会の総大司教となる。だが
一方で
われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に
後にはわれわれの宗教で再教育する間
われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども
教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。その場合
一般的には
われわれの現代社会はゴイムの国家問題
宗教
ゴイムの無能さを断罪し続けるが
常に
わが民天与の才能を振い
あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく
罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。<十七>
■
重ねて述べるが
臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては
盲目的に服従する。彼らはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……彼らは王者に天使の心を期待するのか?
彼らが王者に見たいのは力
力
力の権化なのである。<二十三>
■
ダヴィデ王の子孫のうちの数人が
相続権ではなく優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には
政治の最高機密と政府の仕組とが伝授されるが
常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は
このような秘義を授けられたことがない者には
政府を委すことはできないということを徹底させることにある。これらの人々にのみ
何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ
私がこれまでに述べたような計画の実際化や
政治経済運動や社会科学研究の全成果-一言で言えば
人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理-が伝授される。<二十四>
■
たとえ残忍であったとしても無条件に断固たる人物にのみ
われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。……通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて
最も親しい助言者たちにも知らされない。王と三人の顧問のみが
将来の計画を知っている。断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には
万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので
あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に
前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは
そのためである。<二十四>
■
ユダヤ王は自分の感情
とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも
荒々しい本能に精神をしのがせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも
明晰に見る力を殺ぎ
思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。ダヴィデの聖なる子孫である全世界統治王その人は
人類の支柱であり
人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない。<二十四>
■
あなたは
あなたの神
主の聖なる民である。あなたの神
主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び
御自分の宝の民とされた。(申命記
七章六)
■
主はあなたの意のままにあしらわせ
あなたが彼らを撃つときは
彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず
彼らを憐れんではならない。
(申命記
七章二)。
■
世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして
他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼らはことごとく空皮に過ぎざればなり。<イェシャヤ法師>
■
神言い給う
我は我が予言者を畜獣に過ぎざる偶像崇拜の徒の為に遣わしたるにあらず。人間なるイスラエル人の為に遣わしたるなり。(ミトラシュ・コヘレート)
■
人間の獣に優れる如く
ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。<アブラハム・ゼバ法師>
■
もしイスラエル人無かりせば
この世に幸福なかりしならん。これ申命記二八の八に記されたる如し。またイスラエル人無かりせば
天の諸星も昇らざるべし。これエレミヤ記三三の三五に記されたる如し。また地の上に雨の降る事なかるべし。これ申命記二八の一二に記されたる如し。<シメオン・ハダルサン法師>
■
選ばれたる民のみ永遠の生命を受くるにふさわしく
他の国人はロバに等し。<アバルバネル法師>
■
「汝は主なる汝の神が汝に与え給いしすべての民を喰い尽くさん」との文句(申命記七ノ十六)は
今は亡き吾等の教法師達により次の如く解せられたり。すなわち
すべての民を喰い尽くし
すべての民より掠奪することは
彼らすべてが吾等の権力下に置かれる時に始まるべし
と。<ベハイ法師>
■
神はユダヤ人にすべての方法を用い
詐欺
強力
高利貸
窃盗によってキリスト教徒の財産を奪取することを命ずる。(オルディン一
トラクト一
ディスト四)
■
吾々はタルムードがモーゼの律法書に対して絶対的優越性を有することを認むるものなり。(イスラエル文庫
一八六四年)
■
律法(聖書)は多少とも重要ではあるが
長老方が聖典に記された言葉は常に重要である。
■
掟の言葉より法師の言葉を敬え。<アシ法師>
■
汝知るべし
法師の言葉は予言者の言葉より美し
と。<アシ法師>
■
教法師の言葉は
生ける神の言葉なり。<ベハイ法師>
■
教法師の日常の言辞も
誡律同様に重んずべきなり。(ヴェネツィア版ミトラシュ
一五一六年版)
■
もし法師
汝の右の手を左の手と言ひ
左の手を右の手と言ふとも
彼の言葉に違ふべからず。<アシ法師>
■
タルムードの決定は
生ける神の言葉である。エホバも天国で問題が起きたときは
現世のラビに意見を聞き給う。(ラビ・メナヘン
第五書の注解)
■
法師の言葉を嘲る者は
地獄の煮え立つ糞の中にて罰せらるべし。<アシェル法師>
■
ラビの言葉に背くことはトーラーに背くことよりも
さらに悪い。(ミズナ
サンヘドリン
十の三)。
■
ラビの言葉を変える者は死罪に処すべきである。(エルビン
二一のb)
■
トーラを学ぶゴイは死罪に当る者なり。<モシェー・バル・マエモン>
■
なんじらは人類であるが
世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。(ババ・メチア
一四六の六)。
■
汝等イスラエル人は人間なれど
他の民族は人間に非ず。彼らの魂穢れし霊より出でたればなり。<メナヘム・ベン・シラ法師>
■
イスラエル人は人間と呼ばる。しかれども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものなれば
豚と呼ばるるなり。<ロイベン法師>
■
イスラエル人はアダム(人間)と呼ばれん。然れど他の諸族はアダムと呼ばるることなし。<アブラハム・ゼバ法師>
■
悪魔と世界の諸民族とは
畜獣に数えらるべきなり。<ナフタリ法師>
■
犬は異邦人より勝れたるものなり。<アシ法師>
■
聖書に「隣人」と記されたる個処はいづれも非ユダヤ人を含まざるなり。(「シュルハン・アルフ」の注釈書より)
■
レビ記十九章十一節には
汝は汝の隣人に不法を為すべからず
と記されたり。この文句は
ゴイ(非ユダヤ人)がその中に含まれ居らざる事を明白に示すものなり。
■
ゴイが住んでいる家を見て
人はこう言った。〝神は傲慢の家を亡ぼすだろう〟。そして家々が亡ぼされたのを見て人は言った。〝復讐の神が顕現されたのだ〟(バビロニアン・タルムード
ベラチョット
五八の六)。
■
汝殺すなかれ
との掟は
イスラエル人を殺すなかれ
との意なり。ゴイ
ノアの子等
異教徒はイスラエル人にあらず。<モシェー・バル・マエモン>
■
神はイスラエル人を審くには立ちてなし
尋問も簡単にして速かなり。世の諸民族を審く時は座して
厳格に長々と取調べをなす。<ラバ・バル・ナハマニ法師>
■
「世界はただイスラエル人のみの為に造られたり。」この文句は極めて明瞭なれど
人々はこれをなおよく熟考し
また味うべきなり。イスラエル人に掟の与えられし時
イスラエル人はその掟によりて種々の美点をことごとく保持せしが
他の民は掟を受入れざりしによりこれらの美点を全く有せざるなり。<アブラハム・ゼバ法師>
■
イスラエル人は
他のすべての民に対し優越する者なり
他の諸族の中には賢く利き者唯一人も居らざるに
イスラエル人にあっては全部が特に賢く利き人間なり。
<アブラハム・ゼバ法師>
■
一人のイスラエル人の魂は神の前において他の民族全部の魂より価値多く
また神によって悦ばるるところのものなり。<シェフテル・ホルヴィッツ法師>
■
ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが
ユダヤ人がゴイを殺すも責めは負わず。(前掲書
Ⅷの五)
■
悪しき者(非ユダヤ人)を憐むことは
正しき者(ユダヤ人)に相応わしからぬなり。<ゲルソン法師>
■
ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。<モシェー・バル・マエモン>
■
拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は
ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにして
ゴイに対しては然らず。この事に就き亡き吾等の教法師達の言えるあり。即ち
「遺失物とはすべて汝の兄弟の失いしところの物を指すものにして
ゴイの失える物は然らず。その理由は
ゴイは神に属する者に非ずして
地の邪神に属する者なる故なり。故にゴイの失える総べての物は
この世にては再び見付けらるる事なき遺失物にして
その所有者に還るべきにあらず。財宝は唯イスラエル人にふさわしく
他の民はこれに値いせざるものなればなり。これ預言者イザヤ(二六ノ一九)の言えるが如し」と。<ゲルソン法師>
■
ゴイの耳は不潔である。かれらの浴槽
住居
田園は不潔である。(トセフタ・ミクワト
vの一)
■
九歳と一日以上のゴイの少年と
三歳と一日以上の少女は
不潔とみなされる。(パーフォコヴィッツ
タルムード
t・v
一一頁)
■
他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。(シュルハンアルクのショッツェン・ハミッバッド三百四十八)
■
ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には
その責任を負うべきであるが
ユダヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。(トセフタ
アブダ・ザラ八の五)
■
〝盗賊〟という言葉の解釈。ゴイは
ゴイからであろうとユダヤ人からであろうと
盗むこと奪うこと女奴隷を使うことは禁じられる。だがユダヤ人はゴイに禁じられているこれらのすべてのことを為しても禁じられない。(トセフタ
アボダ・ザラ
Ⅷの五)。
■
すべてのイスラエル人は一定の法式により動物及び動物視されている非ユダヤ人を屠ることを許さる。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
ユダヤ女を求め得る場合には
異邦女の乳を幼児に吸わしむべからず。異邦女の乳は心眼を閉ざし
悪しき性格を形成するが故なり。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
偶像礼拝に帰依せる非ユダヤ人及び賎しき牧人はこれを殺すことを許さず。されど彼らが危険に面しまた死に瀕せりとて彼らを救うことは許されず。例えば彼らの一人水に落ちたる時
報酬ある場合といえども彼を救い上ぐるべからず。また彼らを瀕死の病よりも癒すべからず・・・報酬ある場合といえども。しかれども吾等と彼らの間に敵意の生ずるを防止する為ならば
報酬無き場合にも彼らを救出し
また癒すことを許さる。しかれども偶像を拝む者
罪を犯す者
掟と預言者を否む者は
これを殺すべし。しかして公然と殺すを得ば
その如くなせ。しかするを得ざる場合には
彼らの死を促進せよ。例えば彼らの一人井戸に落ちたる時
その井戸に梯子あらば
これを取去り
直ちに再び持来るべしとの遁辞を用い
かくすることにより落ちたる者の身を救い得べき道を奪うべし。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
非ユダヤ人の証人たるところの証書はすべて無効なり。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
成人せる非ユダヤ人奴隷は
牧者なき家畜の如し。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
すべてゴイは月經時の子にして
根絶さるべきものなり。<ベハイ法師>
■
キリスト教徒は異教徒なり。<アバルバネル法師>
■
改宗してユダヤ人となれる者は
同様にユダヤ教に改宗せるその母あるいは伯母と婚姻するも差支えなし。改宗者は新たに生れたる者と見なされ得る故なり。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
二十四項の罪あり。これに触るる者は除名さる。例えば第八項
その地所を非ユダヤ人に売りたる者
第九項
非ユダヤ人法廷においてその隣人(即ちイスラエル人)に対し不当なる証言を為せる者
等。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
非ユダヤ人及び奴隷も証言を為す資格なし。敵・混血児・裏切者・自由思想家・変節者(背教者)
キリスト教の洗礼を受けたる者はゴイ(非ユダヤ人)より更に悪しければ
同じく証言を為すを得ず。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
他の宗教に改宗したる者は
盗賊になりたると等し。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
汝知るべし
イエスの教に従いて迷えるキリスト教諸国民は
その信仰には種々あれども
ことごとく偶像礼拝者なり。故に彼らは偶像礼拝者相応に扱わるべし。これタルムードの説くところなり。<モシェー・バル・マエモン>
■
決して偶像礼拝者と事を共にするなかれ。また彼らを憫むべからず。その故は
申命記七章二節にその如く記されたればなり。故に非ユダヤ人が生命の危険に瀕するか
あるいは河に溺るるを見るとも
これを救助することは許されず。<モシェー・バル・マエモン>
■
偽善はこの世においては許さる。すなわち
背神者に対し慇懃になし
彼らを敬い
彼らに向いて「我汝を愛す]と言うもよし。すなわち
必要上止むを得ざる場合
恐怖に駆られたる場合は然り。<ベハイ法師>
■
すべてこれらの条項(三十箇条のユダヤ信仰箇條)を信ぜざる者は異教徒なり。故にかかる者を憎むは吾等の義務にして
彼を賎しみ
出来得べくんばその亡ぼし
また根絶するは当然の事なり。<アバルバネル法師>
■
他の諸族はイスラエル人と同じ姿を有すれども
真の人間に比ぶれは模造に過ぎず。彼らは
ダニエル書四の十四・十七に記されたる如く
劣等なる種類の人間なり。これに対しイスラエル人はアダム(人間)なる語の真の意味における高き価値ある人間にして
この故にまた単に人間とも呼ばるるなり。<シメオン・ハダルサン法師>
■
偶像礼拝者は畜獣と呼ばるべきものにしてただ最広義においてのみ人間と呼ばれ得るに過ぎず。<ロイベン法師>
■
非ユダヤ人はイスラエル人の財産に対し所有権を有せず。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
ゴイの財産は主なき物品のごとし。(シュルハン・アルーフ
コーゼン・ハミズパット
一一六の五)。
■
ゴイの土地は荒野のごとし。最初に鍬を入れた者に所有権が帰する。(ババ・バトラ
一四のb)。
■
ユダヤ人はゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは金を持つべきではなく
持てば神の名において不名誉となるだろう。(シュルハン・アルーフ
コーゼン・ハミズパット
三四八)
■
ノアの息子は小銭たりとも盗めば死罪に処せらるべきであるが
イスラエル人がゴイに損害を負わせることは差支えなし。なんじの隣人を傷つけるなかれとは書いてあるが
ゴイを傷つけるなかれとは書かれていない。(ミズナ
サンヘドリン
五七)。
■
ゴイの失せ物を見付けた者は自分の所有にしてはならないが
ゴイに返すことは禁じられている。(シュルハン・アルーフ
コーゼン・ハミズパット
二六六の一)。
■
ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取るべからず。唯アクムよりのみこれを取るべし。しかしてかかる取引は使者をしてこれをなさしむべし。使者ならば
かく為しても
罪を犯したるには非ずして
戒律もまた遵守されたるなり。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
タルムードの誡において神は命じて曰く
ゴイに金を貸すには必ず高利を以てすべし
と。これ
彼らが借りたる金により利する事なからんため
かつまた
我らが金銭にて彼らに助力を与うることなく
むしろ損害を与えんがためなり。<モシェー・バル・マエモン>
■
非ユダヤ人より盗みたる物を用いて女と婚約するは差支えなし。(シュルハン・アルフ
第四巻救いの岩)
■
ゴイに向って誓いを立てた者は
盗賊であれ税吏であれ
責任を取らなくてよい。(トセフタ・スゼブノット
一一)
■
結婚
誓約
約束を取り消すには
ユダヤ人はラビの所に行かねばならぬが
ラビが不在の場合は
他のユダヤ人を三人呼び集め
かれらに残念ながら取り消すと言えばよい。そうすると三人は〝なんじは許された〟と言う。(シュルハン・アルーフ
二
一の二四七)
■
ゴイにわれらの信教を教える者は
ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイがわれらの教説を知ったならば
かれらは公然とわれらを殺すだろう。(リブル・デヴィッドの書
三七)
■
律法の秘密を公にすることは禁ぜられる。これを破る者は全世界を葬るに等しい犯罪である。(ジャクトゥ・ハダズ
一七一の二)
■
ユダヤ人がラビの書物のどこかを説明してくれと頼まれたなら
ただただ嘘の説明をするべきであり
ほんとうのことを教えてこの指示を裏切る共犯者となってはならない。この律法を破る者は生かしておいてはならない。(リブル・デイヴィド
三七)
■
ゴイがわれらの書物には何かゴイを害することが書いてあるのではないかと聞いたら
偽りの誓いを立てなければならない。そして
そのようなことは誓って書いてないと言わなければならない。(ザーロット・ウザボット
ジュル・ダの書
一七)
■
タルムードを学ぶゴイ
それを助けるユダヤ人はことごとく生かしておいてはならない。(サンヘドリン
五九
ア・アボダ・ゾラ
八の六。ザギガ
一三)
■
神よ
あなたを信ずることなく
その御名を称えざる民どもの上に
あなたの怒りを注がしめ給わんことを。かかる民どもの上にあなたの怒りを下らしめ
あなたの怒りもて屈伏せしめ給え。かの民どもをあなたの怒りもて追い散らし
粉々に打ち砕き給え。おお神よ
かの民どもの骨をすべて抜き取り給え。あなたの民に敵対するものすべてを瞬時に殺傷し給え。これら存在の価値なき民どもを根絶
四散
殱滅し給え。誅殺し給え!
今ただちに誅殺し給え!(プラナイティス
クリスマス・イン・タルムード・ジュデオラム
『シナゴーガ・ジュダイカ』二一二頁
『ミンハギン』二三頁
『クラチ・シャイム』四八〇頁。過越祭の夕の祈りで現在も唱えられているもの)
■
(新年二日以前のもの)彼ら非ユダヤ人の評議を狂気をもって悩まし
その思想を乱し給え。彼らの君侯を狂気ならしめ
彼らが吾々になしし如く彼らになし給え。(「ユダヤ祈祷集」より)
■
何者かが三度ユダヤ人を裏切るか
もしくは(ユダヤ人の)金をゴイどもに渡したことが疑いない場合は
賢人会議はその男を放逐しなければならない。
■
裏切り者を放逐せんがために
何人も共同体に寄付をしなければならない。(前掲書)
■
涜神者(非ユダヤ人)の血を流す者は
神に生贄を捧ぐるに等しきなり。<シメオン・ハダルサン法師>
■
自由思想家及びトーラと預言者を否む者を殺すは掟なり。公然と刀剣を以て為し得る時は然かなすべし。もし然か為し得ずば
策計をめぐらして死に至らしむべし。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
トーラーを持たざる者と予言する者とを
すべて殺さなければならない。彼らを殺す力ある者は
剣あれば憚ることなく剣もて殺せ。剣なければ策略もて放逐せよ。(シュルハン・アルーフ
コーゼン・ハミズパット
四二五の五〇)。
■
キリスト教徒の中最も善き者を絞殺すべし。<アシ法師>
クルアーン
<特大>
第17章
イスラエル
(メッカ啓年)</特大>
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
17-1.
かれに栄光あれ。そのしもべを
(マッカの)聖なるマスジドから
われが周囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジドに
夜間
旅をさせた。わが種々の印をかれ(ムハンマド)に示すためである。本当にかれこそは全聴にして全視であられる。
17-2.
われはムーサーに啓典を授け
イスラエルの子孫ヘの導きとさせ(命じ)た。「われの外に守護者を持ってはならない。」
17-3.
われがヌーフと一緒に(方舟で)運んだ者の子孫よ。本当にかれは感謝するしもベであった。
17-4.
またわれは啓典の中で
イスラエルの子孫に対しこう啓示を与えた。「あなたがたは必ず地上で2度悪を犯し
必ず甚だしく高慢に思いあがるであろう。」
17-5.
それで2つの中最初の時(預言)が来た時
われはしもべの中の武勇に富んだ者を
あなたがたに遣わし
かれらは家々の最も奥に入り
約束は成し遂げられた。
17-6.
次いでわれは
あなたがたがかれらに勝利を得るようにし
またあなたがたの財産と子女を増やして多くの人々とした。
17-7.
(そして仰せられた。)「もしあなたがたが善を行うなら
自分の身のために善を行うのであり
また悪を行っても
自分のため(に行うの)である。」それで2番目の時が来た時
あなたがたの顔は曇り
最初の時のように
かれらはマスジドに侵入し
凡てはかれらによって徹底して踏み躙られ壊滅に帰した。
17-8.
或るいは主もあなたがたに情けを与えるであろう。だがあなたがたが(罪を)繰り返すならば
われも(懲罰を)繰り返すであろう。われは不信者のために
地獄を牢獄として設けた。
17-9.
本当にこのクルアーンは
正しい(道への)導きであり
また善い行いをする信者への吉報である。かれらには偉大な報奨が授けられる。
17-10.
また来世を信じない者には
われはかれらのために痛ましい懲罰を準備した。
17-11.
人間の祈りは幸福のためであるべきなのに
かれは災厄のために祈る。凡そ人間はいつも性急である。
17-12.
われは夜と昼の2つの印を設け
夜の印を暗くした。だが昼の印は明るくして
あなたがたに(働いて)主の恩恵を祈らせ
また年数を知り
(暦法を)計算させる。われは凡てのことを詳細に説き明かした。
17-13.
一人ひとりに
われはその運命を首に結び付けた。そして復活の日には
(行いの)記録された一巻が突き付けられ
かれは開いて見る。
17-14.
(かれは仰せられよう。)「あなたがたの記録を読みなさい。今日こそは
あなた自身が自分の清算者である」
17-15.
誰でも導かれる者は
只自分の魂を益するために導かれ
また誰でも迷う者は
只自分を損うために迷う。重荷を負う者は
他人の重荷を負うことは出来ない。われは(警告のため)一人の使徒を遣わさない限り決して懲罰を下さない。
17-16.
われが一つの町を滅ぼそうとする時は
かれらの中で裕福に生活し
そこで罪を犯している者に(先ず)命令を下し
言葉(の真実)がかれらに確認されて
それからわれはそれを徹底的に壊滅する。
17-17.
ヌーフの後
如何に多くの世代を
われは滅ぼしたことであろうか。あなたの主は
そのしもべたちのいろいろな罪を知っておられ
見ておられる方として万全である。
17-18.
誰でも束の間(のこの世の事物)を望む者には
われも急いでかれのために
われの欲する物をわれが望む者に与える。それからかれのために地獄を準備する。かれはそこで焼かれ
恥辱を被り
(慈悲を)拒否されるであろう。
17-19.
しかし誰でも来世を望み
それに向かい精出し努力し
信仰する者
これらの者の努力は嘉納される。
17-20.
われは凡ての者に
これらの者にもまたかれらにも
あなたの主の賜物を広く授ける。あなたの主の賜物には限界はないのである。
17-21.
見なさい。われはある者に
如何に外よりも優れた恩恵を与えるかを。しかし来世では
必ずもっと大きい等級や偉大な特典がある。
17-22.
アッラーと一緒に外の神を立ててはならない。さもないと
あなたがたは軽蔑され見捨てられるであろう。
17-23.
あなたの主は命じられる。かれの外何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行しなさい。もし両親かまたそのどちらかが
あなたと一緒にいて老齢に達しても
かれらに「ちえっ」とか荒い言葉を使わず
親切な言葉で話しなさい。
17-24.
そして敬愛の情を込め
両親に対し謙虚に翼を低く垂れ(優しくし)て
「主よ
幼少の頃
わたしを愛育してくれたように
2人の上に御慈悲を御授け下さい。」と(祈りを)言うがいい。
17-25.
主はあなたがたの心の中に抱くことを熟知なされる。もしあなたがたが正しい行いをするならば
かれは悔悟して度々(主に)返る者に対し
本当に寛容である。
17-26.
近親者に
当然与えるべきものは与えなさい。また貧者や旅人にも。だが粗末に浪費してはならない。
17-27.
浪費者は本当に悪魔の兄弟である。悪魔は主に対し恩を忘れる。
17-28.
あなたは主からの慈悲を請い願うために
仮令かれらから遠ざかっていても
あなたはかれらに対し優しく語りなさい。
17-29.
あなたの手を
自分の首に縛り付けてはならない。また限界を越え極端に手を開き
恥辱を被り困窮に陥ってはならない。
17-30.
本当にあなたの主は
御心に適う者への報酬を豊かにされ
また控えられる。かれはそのしもべに関し
本当に全知にして全視であられる。
17-31.
貧困を恐れてあなたがたの子女を殺してはならない。われはかれらとあなたがたのために給養する。かれらを殺すのは
本当に大罪である。
17-32.
私通(の危険)に近付いてはならない。それは醜行である。憎むべき道である。
17-33.
正当な理由による以外は
アッラーが尊いものとされた生命を奪ってはならない。誰でも不当に殺害されたならば
われはその相続者に賠償または報復を求める権利を与える。殺害に関して法を越えさせてはならない。本当にかれは(法によって)救護されているのである。
17-34.
孤児が力量(ある年齢)に達するまでは
最善(の管理)をなすための外
かれの財産に近付いてはならない。約束を果たしなさい。凡ての約束は
(審判の日)尋問されるのである。
17-35.
それからあなたがたが計量する時は
(買い手のために)その量を十分にしなさい。また正しい秤で計りなさい。それは立派であり
その方が結果として最良になる。
17-36.
またあなたは
自分の知識のないことに従ってはならない。本当に聴覚
視覚
また心の働きの凡てが(審判の日において)尋問されるであろう。
17-37.
また横柄に地上を歩いてはならない。あなたがたは大地を裂くことも出来ず
また(背丈が)山の高さにもなれない。
17-38.
これらの凡ては悪事で
あなたの主は
これを憎まれる。
17-39.
これらは
主があなたに啓示された英知である。アッラーと一緒に外の神を立ててはならない。そうでないと恥辱を受け(慈悲を)拒否され地獄に投げ込まれるであろう。
17-40.
(多神教徒よ)主は男児をあなたがたに授け
(御自分は)天使の中から女児を取られたとするのか。本当にあなたがたは由々しき言葉を口にする者である。
17-41.
本当にわれはこのクルアーンで
かれらを戒しめるために繰り返し説いた。しかしそれは
只かれらの(真理からの)離反を加えるだけであった。
アヴェ・ヴェルム・コルプス (お話です) 1 ユダヤ教についてと イスラエルの歴史についてと キリスト教とユダヤ教の歴史について タルムード ユダヤ教の聖典は『旧約聖書』ですが、冒頭の5書、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」は特に重要とされ「モーセ五書」または「トーラー」(律法)と呼ばれます。さらに、モーセが神から授けられた法で、成文におこされずに口伝で伝えられたものがあり、この口伝は3世紀頃に文書におこされ「ミシュナー」と呼ばています。このミシュナーと、ミシュナーをラビが解釈した「ゲマラ」から作成された日常生活の規範と、時代時代に対応した生きざまを記したものがタルムードです。 タルムードは、6部構成、63編から成る文書群で、現代のユダヤ教の主要教派のほとんどが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活、信仰の基となっているといわるものです。 ■ ユダヤ王は真の世界の法王、世界にまたがる教会の総大司教となる。だが、一方で、われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に、後にはわれわれの宗教で再教育する間、われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども、教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。その場合、一般的には、われわれの現代社会はゴイムの国家問題、宗教、ゴイムの無能さを断罪し続けるが、常に、わが民天与の才能を振い、あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく、罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。<十七> ■ 重ねて述べるが、臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては、盲目的に服従する。彼らはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……彼らは王者に天使の心を期待するのか? 彼らが王者に見たいのは力、力、力の権化なのである。<二十三> ■ ダヴィデ王の子孫のうちの数人が、相続権ではなく優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には、政治の最高機密と政府の仕組とが伝授されるが、常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は、このような秘義を授けられたことがない者には、政府を委すことはできないということを徹底させることにある。これらの人々にのみ、何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ、私がこれまでに述べたような計画の実際化や、政治経済運動や社会科学研究の全成果-一言で言えば、人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理-が伝授される。<二十四> ■ たとえ残忍であったとしても無条件に断固たる人物にのみ、われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。……通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて、最も親しい助言者たちにも知らされない。王と三人の顧問のみが、将来の計画を知っている。断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には、万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので、あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に、前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは、そのためである。<二十四> ■ ユダヤ王は自分の感情、とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも、荒々しい本能に精神をしのがせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも、明晰に見る力を殺ぎ、思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。ダヴィデの聖なる子孫である全世界統治王その人は、人類の支柱であり、人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない。<二十四> ■ あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。(申命記、七章六) ■ 主はあなたの意のままにあしらわせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。 (申命記、七章二)。 ■ 世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして、他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼らはことごとく空皮に過ぎざればなり。<イェシャヤ法師> ■ 神言い給う、我は我が予言者を畜獣に過ぎざる偶像崇拜の徒の為に遣わしたるにあらず。人間なるイスラエル人の為に遣わしたるなり。(ミトラシュ・コヘレート) ■ 人間の獣に優れる如く、ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。<アブラハム・ゼバ法師>
投稿者: 有馬徳彦
投稿日時:2012-05-30 19:34:14.0
視聴回数:16746回
お気に入り登録:0
カテゴリ:
暮らし全般
エンタメ全般
教育全般
タグ:
アヴェ・ヴェルム・コルプス
(お話です)
1
ユダヤ教についてと
イスラエルの歴史についてと
キリスト教とユダヤ教の歴史について
タルムード
ユダヤ教の聖典は『旧約聖書』ですが
冒頭の5書
「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」は特に重要とされ「モーセ五書」または「トーラー」(律法)と呼ばれます。さらに
モーセが神から授けられた法で
成文におこされずに口伝で伝えられたものがあり
この口伝は3世紀頃に文書化され「ミシュナー」と呼ばています。このミシュナーと
ミシュナーをラビが解釈した「ゲマラ」から作成された日常生活の規範と
時代時代に対応した生きざまを記したものがタルムードです。
タルムードは
6部構成
63編から成る文書群で
現代のユダヤ教の主要教派のほとんどが聖典として認めており
ユダヤ教徒の生活
信仰の基となっているといわるものです。
■
ユダヤ王は真の世界の法王
世界にまたがる教会の総大司教となる。だが
一方で
われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に
後にはわれわれの宗教で再教育する間
われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども
教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。その場合
一般的には
われわれの現代社会はゴイムの国家問題
宗教
ゴイムの無能さを断罪し続けるが
常に
わが民天与の才能を振い
あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく
罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。<十七>
■
重ねて述べるが
臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては
盲目的に服従する。彼らはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……彼らは王者に天使の心を期待するのか?
彼らが王者に見たいのは力
力
力の権化なのである。<二十三>
■
ダヴィデ王の子孫のうちの数人が
相続権ではなく優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には
政治の最高機密と政府の仕組とが伝授されるが
常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は
このような秘義を授けられたことがない者には
政府を委すことはできないということを徹底させることにある。これらの人々にのみ
何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ
私がこれまでに述べたような計画の実際化や
政治経済運動や社会科学研究の全成果-一言で言えば
人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理-が伝授される。<二十四>
■
たとえ残忍であったとしても無条件に断固たる人物にのみ
われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。……通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて
最も親しい助言者たちにも知らされない。王と三人の顧問のみが
将来の計画を知っている。断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には
万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので
あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に
前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは
そのためである。<二十四>
■
ユダヤ王は自分の感情
とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも
荒々しい本能に精神をしのがせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも
明晰に見る力を殺ぎ
思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。ダヴィデの聖なる子孫である全世界統治王その人は
人類の支柱であり
人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない。<二十四>
■
あなたは
あなたの神
主の聖なる民である。あなたの神
主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び
御自分の宝の民とされた。(申命記
七章六)
■
主はあなたの意のままにあしらわせ
あなたが彼らを撃つときは
彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず
彼らを憐れんではならない。
(申命記
七章二)。
■
世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして
他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼らはことごとく空皮に過ぎざればなり。<イェシャヤ法師>
■
神言い給う
我は我が予言者を畜獣に過ぎざる偶像崇拜の徒の為に遣わしたるにあらず。人間なるイスラエル人の為に遣わしたるなり。(ミトラシュ・コヘレート)
■
人間の獣に優れる如く
ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。<アブラハム・ゼバ法師>
■
もしイスラエル人無かりせば
この世に幸福なかりしならん。これ申命記二八の八に記されたる如し。またイスラエル人無かりせば
天の諸星も昇らざるべし。これエレミヤ記三三の三五に記されたる如し。また地の上に雨の降る事なかるべし。これ申命記二八の一二に記されたる如し。<シメオン・ハダルサン法師>
■
選ばれたる民のみ永遠の生命を受くるにふさわしく
他の国人はロバに等し。<アバルバネル法師>
■
「汝は主なる汝の神が汝に与え給いしすべての民を喰い尽くさん」との文句(申命記七ノ十六)は
今は亡き吾等の教法師達により次の如く解せられたり。すなわち
すべての民を喰い尽くし
すべての民より掠奪することは
彼らすべてが吾等の権力下に置かれる時に始まるべし
と。<ベハイ法師>
■
神はユダヤ人にすべての方法を用い
詐欺
強力
高利貸
窃盗によってキリスト教徒の財産を奪取することを命ずる。(オルディン一
トラクト一
ディスト四)
■
吾々はタルムードがモーゼの律法書に対して絶対的優越性を有することを認むるものなり。(イスラエル文庫
一八六四年)
■
律法(聖書)は多少とも重要ではあるが
長老方が聖典に記された言葉は常に重要である。
■
掟の言葉より法師の言葉を敬え。<アシ法師>
■
汝知るべし
法師の言葉は予言者の言葉より美し
と。<アシ法師>
■
教法師の言葉は
生ける神の言葉なり。<ベハイ法師>
■
教法師の日常の言辞も
誡律同様に重んずべきなり。(ヴェネツィア版ミトラシュ
一五一六年版)
■
もし法師
汝の右の手を左の手と言ひ
左の手を右の手と言ふとも
彼の言葉に違ふべからず。<アシ法師>
■
タルムードの決定は
生ける神の言葉である。エホバも天国で問題が起きたときは
現世のラビに意見を聞き給う。(ラビ・メナヘン
第五書の注解)
■
法師の言葉を嘲る者は
地獄の煮え立つ糞の中にて罰せらるべし。<アシェル法師>
■
ラビの言葉に背くことはトーラーに背くことよりも
さらに悪い。(ミズナ
サンヘドリン
十の三)。
■
ラビの言葉を変える者は死罪に処すべきである。(エルビン
二一のb)
■
トーラを学ぶゴイは死罪に当る者なり。<モシェー・バル・マエモン>
■
なんじらは人類であるが
世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。(ババ・メチア
一四六の六)。
■
汝等イスラエル人は人間なれど
他の民族は人間に非ず。彼らの魂穢れし霊より出でたればなり。<メナヘム・ベン・シラ法師>
■
イスラエル人は人間と呼ばる。しかれども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものなれば
豚と呼ばるるなり。<ロイベン法師>
■
イスラエル人はアダム(人間)と呼ばれん。然れど他の諸族はアダムと呼ばるることなし。<アブラハム・ゼバ法師>
■
悪魔と世界の諸民族とは
畜獣に数えらるべきなり。<ナフタリ法師>
■
犬は異邦人より勝れたるものなり。<アシ法師>
■
聖書に「隣人」と記されたる個処はいづれも非ユダヤ人を含まざるなり。(「シュルハン・アルフ」の注釈書より)
■
レビ記十九章十一節には
汝は汝の隣人に不法を為すべからず
と記されたり。この文句は
ゴイ(非ユダヤ人)がその中に含まれ居らざる事を明白に示すものなり。
■
ゴイが住んでいる家を見て
人はこう言った。〝神は傲慢の家を亡ぼすだろう〟。そして家々が亡ぼされたのを見て人は言った。〝復讐の神が顕現されたのだ〟(バビロニアン・タルムード
ベラチョット
五八の六)。
■
汝殺すなかれ
との掟は
イスラエル人を殺すなかれ
との意なり。ゴイ
ノアの子等
異教徒はイスラエル人にあらず。<モシェー・バル・マエモン>
■
神はイスラエル人を審くには立ちてなし
尋問も簡単にして速かなり。世の諸民族を審く時は座して
厳格に長々と取調べをなす。<ラバ・バル・ナハマニ法師>
■
「世界はただイスラエル人のみの為に造られたり。」この文句は極めて明瞭なれど
人々はこれをなおよく熟考し
また味うべきなり。イスラエル人に掟の与えられし時
イスラエル人はその掟によりて種々の美点をことごとく保持せしが
他の民は掟を受入れざりしによりこれらの美点を全く有せざるなり。<アブラハム・ゼバ法師>
■
イスラエル人は
他のすべての民に対し優越する者なり
他の諸族の中には賢く利き者唯一人も居らざるに
イスラエル人にあっては全部が特に賢く利き人間なり。
<アブラハム・ゼバ法師>
■
一人のイスラエル人の魂は神の前において他の民族全部の魂より価値多く
また神によって悦ばるるところのものなり。<シェフテル・ホルヴィッツ法師>
■
ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが
ユダヤ人がゴイを殺すも責めは負わず。(前掲書
Ⅷの五)
■
悪しき者(非ユダヤ人)を憐むことは
正しき者(ユダヤ人)に相応わしからぬなり。<ゲルソン法師>
■
ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。<モシェー・バル・マエモン>
■
拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は
ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにして
ゴイに対しては然らず。この事に就き亡き吾等の教法師達の言えるあり。即ち
「遺失物とはすべて汝の兄弟の失いしところの物を指すものにして
ゴイの失える物は然らず。その理由は
ゴイは神に属する者に非ずして
地の邪神に属する者なる故なり。故にゴイの失える総べての物は
この世にては再び見付けらるる事なき遺失物にして
その所有者に還るべきにあらず。財宝は唯イスラエル人にふさわしく
他の民はこれに値いせざるものなればなり。これ預言者イザヤ(二六ノ一九)の言えるが如し」と。<ゲルソン法師>
■
ゴイの耳は不潔である。かれらの浴槽
住居
田園は不潔である。(トセフタ・ミクワト
vの一)
■
九歳と一日以上のゴイの少年と
三歳と一日以上の少女は
不潔とみなされる。(パーフォコヴィッツ
タルムード
t・v
一一頁)
■
他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。(シュルハンアルクのショッツェン・ハミッバッド三百四十八)
■
ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には
その責任を負うべきであるが
ユダヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。(トセフタ
アブダ・ザラ八の五)
■
〝盗賊〟という言葉の解釈。ゴイは
ゴイからであろうとユダヤ人からであろうと
盗むこと奪うこと女奴隷を使うことは禁じられる。だがユダヤ人はゴイに禁じられているこれらのすべてのことを為しても禁じられない。(トセフタ
アボダ・ザラ
Ⅷの五)。
■
すべてのイスラエル人は一定の法式により動物及び動物視されている非ユダヤ人を屠ることを許さる。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
ユダヤ女を求め得る場合には
異邦女の乳を幼児に吸わしむべからず。異邦女の乳は心眼を閉ざし
悪しき性格を形成するが故なり。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
偶像礼拝に帰依せる非ユダヤ人及び賎しき牧人はこれを殺すことを許さず。されど彼らが危険に面しまた死に瀕せりとて彼らを救うことは許されず。例えば彼らの一人水に落ちたる時
報酬ある場合といえども彼を救い上ぐるべからず。また彼らを瀕死の病よりも癒すべからず・・・報酬ある場合といえども。しかれども吾等と彼らの間に敵意の生ずるを防止する為ならば
報酬無き場合にも彼らを救出し
また癒すことを許さる。しかれども偶像を拝む者
罪を犯す者
掟と預言者を否む者は
これを殺すべし。しかして公然と殺すを得ば
その如くなせ。しかするを得ざる場合には
彼らの死を促進せよ。例えば彼らの一人井戸に落ちたる時
その井戸に梯子あらば
これを取去り
直ちに再び持来るべしとの遁辞を用い
かくすることにより落ちたる者の身を救い得べき道を奪うべし。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
非ユダヤ人の証人たるところの証書はすべて無効なり。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
成人せる非ユダヤ人奴隷は
牧者なき家畜の如し。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
すべてゴイは月經時の子にして
根絶さるべきものなり。<ベハイ法師>
■
キリスト教徒は異教徒なり。<アバルバネル法師>
■
改宗してユダヤ人となれる者は
同様にユダヤ教に改宗せるその母あるいは伯母と婚姻するも差支えなし。改宗者は新たに生れたる者と見なされ得る故なり。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
二十四項の罪あり。これに触るる者は除名さる。例えば第八項
その地所を非ユダヤ人に売りたる者
第九項
非ユダヤ人法廷においてその隣人(即ちイスラエル人)に対し不当なる証言を為せる者
等。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
非ユダヤ人及び奴隷も証言を為す資格なし。敵・混血児・裏切者・自由思想家・変節者(背教者)
キリスト教の洗礼を受けたる者はゴイ(非ユダヤ人)より更に悪しければ
同じく証言を為すを得ず。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
他の宗教に改宗したる者は
盗賊になりたると等し。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
汝知るべし
イエスの教に従いて迷えるキリスト教諸国民は
その信仰には種々あれども
ことごとく偶像礼拝者なり。故に彼らは偶像礼拝者相応に扱わるべし。これタルムードの説くところなり。<モシェー・バル・マエモン>
■
決して偶像礼拝者と事を共にするなかれ。また彼らを憫むべからず。その故は
申命記七章二節にその如く記されたればなり。故に非ユダヤ人が生命の危険に瀕するか
あるいは河に溺るるを見るとも
これを救助することは許されず。<モシェー・バル・マエモン>
■
偽善はこの世においては許さる。すなわち
背神者に対し慇懃になし
彼らを敬い
彼らに向いて「我汝を愛す]と言うもよし。すなわち
必要上止むを得ざる場合
恐怖に駆られたる場合は然り。<ベハイ法師>
■
すべてこれらの条項(三十箇条のユダヤ信仰箇條)を信ぜざる者は異教徒なり。故にかかる者を憎むは吾等の義務にして
彼を賎しみ
出来得べくんばその亡ぼし
また根絶するは当然の事なり。<アバルバネル法師>
■
他の諸族はイスラエル人と同じ姿を有すれども
真の人間に比ぶれは模造に過ぎず。彼らは
ダニエル書四の十四・十七に記されたる如く
劣等なる種類の人間なり。これに対しイスラエル人はアダム(人間)なる語の真の意味における高き価値ある人間にして
この故にまた単に人間とも呼ばるるなり。<シメオン・ハダルサン法師>
■
偶像礼拝者は畜獣と呼ばるべきものにしてただ最広義においてのみ人間と呼ばれ得るに過ぎず。<ロイベン法師>
■
非ユダヤ人はイスラエル人の財産に対し所有権を有せず。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
ゴイの財産は主なき物品のごとし。(シュルハン・アルーフ
コーゼン・ハミズパット
一一六の五)。
■
ゴイの土地は荒野のごとし。最初に鍬を入れた者に所有権が帰する。(ババ・バトラ
一四のb)。
■
ユダヤ人はゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは金を持つべきではなく
持てば神の名において不名誉となるだろう。(シュルハン・アルーフ
コーゼン・ハミズパット
三四八)
■
ノアの息子は小銭たりとも盗めば死罪に処せらるべきであるが
イスラエル人がゴイに損害を負わせることは差支えなし。なんじの隣人を傷つけるなかれとは書いてあるが
ゴイを傷つけるなかれとは書かれていない。(ミズナ
サンヘドリン
五七)。
■
ゴイの失せ物を見付けた者は自分の所有にしてはならないが
ゴイに返すことは禁じられている。(シュルハン・アルーフ
コーゼン・ハミズパット
二六六の一)。
■
ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取るべからず。唯アクムよりのみこれを取るべし。しかしてかかる取引は使者をしてこれをなさしむべし。使者ならば
かく為しても
罪を犯したるには非ずして
戒律もまた遵守されたるなり。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
タルムードの誡において神は命じて曰く
ゴイに金を貸すには必ず高利を以てすべし
と。これ
彼らが借りたる金により利する事なからんため
かつまた
我らが金銭にて彼らに助力を与うることなく
むしろ損害を与えんがためなり。<モシェー・バル・マエモン>
■
非ユダヤ人より盗みたる物を用いて女と婚約するは差支えなし。(シュルハン・アルフ
第四巻救いの岩)
■
ゴイに向って誓いを立てた者は
盗賊であれ税吏であれ
責任を取らなくてよい。(トセフタ・スゼブノット
一一)
■
結婚
誓約
約束を取り消すには
ユダヤ人はラビの所に行かねばならぬが
ラビが不在の場合は
他のユダヤ人を三人呼び集め
かれらに残念ながら取り消すと言えばよい。そうすると三人は〝なんじは許された〟と言う。(シュルハン・アルーフ
二
一の二四七)
■
ゴイにわれらの信教を教える者は
ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイがわれらの教説を知ったならば
かれらは公然とわれらを殺すだろう。(リブル・デヴィッドの書
三七)
■
律法の秘密を公にすることは禁ぜられる。これを破る者は全世界を葬るに等しい犯罪である。(ジャクトゥ・ハダズ
一七一の二)
■
ユダヤ人がラビの書物のどこかを説明してくれと頼まれたなら
ただただ嘘の説明をするべきであり
ほんとうのことを教えてこの指示を裏切る共犯者となってはならない。この律法を破る者は生かしておいてはならない。(リブル・デイヴィド
三七)
■
ゴイがわれらの書物には何かゴイを害することが書いてあるのではないかと聞いたら
偽りの誓いを立てなければならない。そして
そのようなことは誓って書いてないと言わなければならない。(ザーロット・ウザボット
ジュル・ダの書
一七)
■
タルムードを学ぶゴイ
それを助けるユダヤ人はことごとく生かしておいてはならない。(サンヘドリン
五九
ア・アボダ・ゾラ
八の六。ザギガ
一三)
■
神よ
あなたを信ずることなく
その御名を称えざる民どもの上に
あなたの怒りを注がしめ給わんことを。かかる民どもの上にあなたの怒りを下らしめ
あなたの怒りもて屈伏せしめ給え。かの民どもをあなたの怒りもて追い散らし
粉々に打ち砕き給え。おお神よ
かの民どもの骨をすべて抜き取り給え。あなたの民に敵対するものすべてを瞬時に殺傷し給え。これら存在の価値なき民どもを根絶
四散
殱滅し給え。誅殺し給え!
今ただちに誅殺し給え!(プラナイティス
クリスマス・イン・タルムード・ジュデオラム
『シナゴーガ・ジュダイカ』二一二頁
『ミンハギン』二三頁
『クラチ・シャイム』四八〇頁。過越祭の夕の祈りで現在も唱えられているもの)
■
(新年二日以前のもの)彼ら非ユダヤ人の評議を狂気をもって悩まし
その思想を乱し給え。彼らの君侯を狂気ならしめ
彼らが吾々になしし如く彼らになし給え。(「ユダヤ祈祷集」より)
■
何者かが三度ユダヤ人を裏切るか
もしくは(ユダヤ人の)金をゴイどもに渡したことが疑いない場合は
賢人会議はその男を放逐しなければならない。
■
裏切り者を放逐せんがために
何人も共同体に寄付をしなければならない。(前掲書)
■
涜神者(非ユダヤ人)の血を流す者は
神に生贄を捧ぐるに等しきなり。<シメオン・ハダルサン法師>
■
自由思想家及びトーラと預言者を否む者を殺すは掟なり。公然と刀剣を以て為し得る時は然かなすべし。もし然か為し得ずば
策計をめぐらして死に至らしむべし。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
トーラーを持たざる者と予言する者とを
すべて殺さなければならない。彼らを殺す力ある者は
剣あれば憚ることなく剣もて殺せ。剣なければ策略もて放逐せよ。(シュルハン・アルーフ
コーゼン・ハミズパット
四二五の五〇)。
■
キリスト教徒の中最も善き者を絞殺すべし。<アシ法師>
クルアーン
<特大>
第17章
イスラエル
(メッカ啓年)</特大>
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
17-1.
かれに栄光あれ。そのしもべを
(マッカの)聖なるマスジドから
われが周囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジドに
夜間
旅をさせた。わが種々の印をかれ(ムハンマド)に示すためである。本当にかれこそは全聴にして全視であられる。
17-2.
われはムーサーに啓典を授け
イスラエルの子孫ヘの導きとさせ(命じ)た。「われの外に守護者を持ってはならない。」
17-3.
われがヌーフと一緒に(方舟で)運んだ者の子孫よ。本当にかれは感謝するしもベであった。
17-4.
またわれは啓典の中で
イスラエルの子孫に対しこう啓示を与えた。「あなたがたは必ず地上で2度悪を犯し
必ず甚だしく高慢に思いあがるであろう。」
17-5.
それで2つの中最初の時(預言)が来た時
われはしもべの中の武勇に富んだ者を
あなたがたに遣わし
かれらは家々の最も奥に入り
約束は成し遂げられた。
17-6.
次いでわれは
あなたがたがかれらに勝利を得るようにし
またあなたがたの財産と子女を増やして多くの人々とした。
17-7.
(そして仰せられた。)「もしあなたがたが善を行うなら
自分の身のために善を行うのであり
また悪を行っても
自分のため(に行うの)である。」それで2番目の時が来た時
あなたがたの顔は曇り
最初の時のように
かれらはマスジドに侵入し
凡てはかれらによって徹底して踏み躙られ壊滅に帰した。
17-8.
或るいは主もあなたがたに情けを与えるであろう。だがあなたがたが(罪を)繰り返すならば
われも(懲罰を)繰り返すであろう。われは不信者のために
地獄を牢獄として設けた。
17-9.
本当にこのクルアーンは
正しい(道への)導きであり
また善い行いをする信者への吉報である。かれらには偉大な報奨が授けられる。
17-10.
また来世を信じない者には
われはかれらのために痛ましい懲罰を準備した。
17-11.
人間の祈りは幸福のためであるべきなのに
かれは災厄のために祈る。凡そ人間はいつも性急である。
17-12.
われは夜と昼の2つの印を設け
夜の印を暗くした。だが昼の印は明るくして
あなたがたに(働いて)主の恩恵を祈らせ
また年数を知り
(暦法を)計算させる。われは凡てのことを詳細に説き明かした。
17-13.
一人ひとりに
われはその運命を首に結び付けた。そして復活の日には
(行いの)記録された一巻が突き付けられ
かれは開いて見る。
17-14.
(かれは仰せられよう。)「あなたがたの記録を読みなさい。今日こそは
あなた自身が自分の清算者である」
17-15.
誰でも導かれる者は
只自分の魂を益するために導かれ
また誰でも迷う者は
只自分を損うために迷う。重荷を負う者は
他人の重荷を負うことは出来ない。われは(警告のため)一人の使徒を遣わさない限り決して懲罰を下さない。
17-16.
われが一つの町を滅ぼそうとする時は
かれらの中で裕福に生活し
そこで罪を犯している者に(先ず)命令を下し
言葉(の真実)がかれらに確認されて
それからわれはそれを徹底的に壊滅する。
17-17.
ヌーフの後
如何に多くの世代を
われは滅ぼしたことであろうか。あなたの主は
そのしもべたちのいろいろな罪を知っておられ
見ておられる方として万全である。
17-18.
誰でも束の間(のこの世の事物)を望む者には
われも急いでかれのために
われの欲する物をわれが望む者に与える。それからかれのために地獄を準備する。かれはそこで焼かれ
恥辱を被り
(慈悲を)拒否されるであろう。
17-19.
しかし誰でも来世を望み
それに向かい精出し努力し
信仰する者
これらの者の努力は嘉納される。
17-20.
われは凡ての者に
これらの者にもまたかれらにも
あなたの主の賜物を広く授ける。あなたの主の賜物には限界はないのである。
17-21.
見なさい。われはある者に
如何に外よりも優れた恩恵を与えるかを。しかし来世では
必ずもっと大きい等級や偉大な特典がある。
17-22.
アッラーと一緒に外の神を立ててはならない。さもないと
あなたがたは軽蔑され見捨てられるであろう。
17-23.
あなたの主は命じられる。かれの外何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行しなさい。もし両親かまたそのどちらかが
あなたと一緒にいて老齢に達しても
かれらに「ちえっ」とか荒い言葉を使わず
親切な言葉で話しなさい。
17-24.
そして敬愛の情を込め
両親に対し謙虚に翼を低く垂れ(優しくし)て
「主よ
幼少の頃
わたしを愛育してくれたように
2人の上に御慈悲を御授け下さい。」と(祈りを)言うがいい。
17-25.
主はあなたがたの心の中に抱くことを熟知なされる。もしあなたがたが正しい行いをするならば
かれは悔悟して度々(主に)返る者に対し
本当に寛容である。
17-26.
近親者に
当然与えるべきものは与えなさい。また貧者や旅人にも。だが粗末に浪費してはならない。
17-27.
浪費者は本当に悪魔の兄弟である。悪魔は主に対し恩を忘れる。
17-28.
あなたは主からの慈悲を請い願うために
仮令かれらから遠ざかっていても
あなたはかれらに対し優しく語りなさい。
17-29.
あなたの手を
自分の首に縛り付けてはならない。また限界を越え極端に手を開き
恥辱を被り困窮に陥ってはならない。
17-30.
本当にあなたの主は
御心に適う者への報酬を豊かにされ
また控えられる。かれはそのしもべに関し
本当に全知にして全視であられる。
17-31.
貧困を恐れてあなたがたの子女を殺してはならない。われはかれらとあなたがたのために給養する。かれらを殺すのは
本当に大罪である。
17-32.
私通(の危険)に近付いてはならない。それは醜行である。憎むべき道である。
17-33.
正当な理由による以外は
アッラーが尊いものとされた生命を奪ってはならない。誰でも不当に殺害されたならば
われはその相続者に賠償または報復を求める権利を与える。殺害に関して法を越えさせてはならない。本当にかれは(法によって)救護されているのである。
17-34.
孤児が力量(ある年齢)に達するまでは
最善(の管理)をなすための外
かれの財産に近付いてはならない。約束を果たしなさい。凡ての約束は
(審判の日)尋問されるのである。
17-35.
それからあなたがたが計量する時は
(買い手のために)その量を十分にしなさい。また正しい秤で計りなさい。それは立派であり
その方が結果として最良になる。
17-36.
またあなたは
自分の知識のないことに従ってはならない。本当に聴覚
視覚
また心の働きの凡てが(審判の日において)尋問されるであろう。
17-37.
また横柄に地上を歩いてはならない。あなたがたは大地を裂くことも出来ず
また(背丈が)山の高さにもなれない。
17-38.
これらの凡ては悪事で
あなたの主は
これを憎まれる。
17-39.
これらは
主があなたに啓示された英知である。アッラーと一緒に外の神を立ててはならない。そうでないと恥辱を受け(慈悲を)拒否され地獄に投げ込まれるであろう。
17-40.
(多神教徒よ)主は男児をあなたがたに授け
(御自分は)天使の中から女児を取られたとするのか。本当にあなたがたは由々しき言葉を口にする者である。
17-41.
本当にわれはこのクルアーンで
かれらを戒しめるために繰り返し説いた。しかしそれは
只かれらの(真理からの)離反を加えるだけであった。
アヴェ・ヴェルム・コルプス(お話です) 1 ユダヤ教についてと イスラエルの歴史についてと キリスト教とユダヤ教の歴史について イスラム教の聖典の聖クルアーンの 第17章イスラエル(メッカ啓年)について。 イスラエルとユダヤ教徒、キリスト教徒など他宗教の信者に対する破邪がございますが、他宗教の信者の方々自身に対しては非常に敬意を持って領納してございますから、経の表象も敬意を持って領解(りょうげ)してございます。 聖クルアーン 第17章 イスラエル (メッカ啓年) 慈悲深く、恵み遍くアッラーの御名において。 17-1. かれに栄光あれ。そのしもべを、(マッカの)聖なるマスジドから、われが周囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジドに、夜間、旅をさせた。わが種々の印をかれ(ムハンマド)に示すためである。本当にかれこそは全聴にして全視であられる。 17-2. われはムーサーに啓典を授け、イスラエルの子孫ヘの導きとさせ(命じ)た。「われの外に守護者を持ってはならない。」 17-3. われがヌーフと一緒に(方舟で)運んだ者の子孫よ。本当にかれは感謝するしもベであった。 17-4. またわれは啓典の中で、イスラエルの子孫に対しこう啓示を与えた。「あなたがたは必ず地上で2度悪を犯し、必ず甚だしく高慢に思いあがるであろう。」 17-5. それで2つの中最初の時(預言)が来た時、われはしもべの中の武勇に富んだ者を、あなたがたに遣わし、かれらは家々の最も奥に入り、約束は成し遂げられた。 17-6. 次いでわれは、あなたがたがかれらに勝利を得るようにし、またあなたがたの財産と子女を増やして多くの人々とした。 17-7. (そして仰せられた。)「もしあなたがたが善を行うなら、自分の身のために善を行うのであり、また悪を行っても、自分のため(に行うの)である。」それで2番目の時が来た時、あなたがたの顔は曇り、最初の時のように、かれらはマスジドに侵入し、凡てはかれらによって徹底して踏み躙られ壊滅に帰した。 17-8. 或るいは主もあなたがたに情けを与えるであろう。だがあなたがたが(罪を)繰り返すならば、われも(懲罰を)繰り返すであろう。われは不信者のために、地獄を牢獄として設けた。 17-9. 本当にこのクルアーンは、正しい(道への)導きであり、また善い行いをする信者への吉報である。かれらには偉大な報奨が授けられる。 17-10. また来世を信じない者には、われはかれらのために痛ましい懲罰を準備した。 17-11. 人間の祈りは幸福のためであるべきなのに、かれは災厄のために祈る。凡そ人間はいつも性急である。 17-12. われは夜と昼の2つの印を設け、夜の印を暗くした。だが昼の印は明るくして、あなたがたに(働いて)主の恩恵を祈らせ、また年数を知り、(暦法を)計算させる。われは凡てのことを詳細に説き明かした。 17-13. 一人ひとりに、われはその運命を首に結び付けた。そして復活の日には、(行いの)記録された一巻が突き付けられ、かれは開いて見る。 17-14. (かれは仰せられよう。)「あなたがたの記録を読みなさい。今日こそは、あなた自身が自分の清算者である」 17-15. 誰でも導かれる者は、只自分の魂を益するために導かれ、また誰でも迷う者は、只自分を損うために迷う。重荷を負う者は、他人の重荷を負うことは出来ない。われは(警告のため)一人の使徒を遣わさない限り決して懲罰を下さない。 17-16. われが一つの町を滅ぼそうとする時は、かれらの中で裕福に生活し、そこで罪を犯している者に(先ず)命令を下し、言葉(の真実)がかれらに確認されて、それからわれはそれを徹底的に壊滅する。 17-17. ヌーフの後、如何に多くの世代を、われは滅ぼしたことであろうか。あなたの主は、そのしもべたちのいろいろな罪を知っておられ、見ておられる方として万全である。 17-18. 誰でも束の間(のこの世の事物)を望む者には、われも急いでかれのために、われの欲する物をわれが望む者に与える。それからかれのために地獄を準備する。かれはそこで焼かれ、恥辱を被り、(慈悲を)拒否されるであろう。 17-19. しかし誰でも来世を望み、それに向かい精出し努力し、信仰する者、これらの者の努力は嘉納される。 17-20. われは凡ての者に、これらの者にもまたかれらにも、あなたの主の賜物を広く授ける。あなたの主の賜物には限界はないのである。
投稿者: 有馬徳彦
投稿日時:2012-05-30 18:23:35.0
視聴回数:14381回
お気に入り登録:0
カテゴリ:
暮らし全般
エンタメ全般
教育全般
タグ:
アヴェ・ヴェルム・コルプス
(お話です)
1
ユダヤ教についてと
イスラエルの歴史についてと
キリスト教とユダヤ教の歴史について
イスラム教の聖典クルアーンの
第17章イスラエル(メッカ啓年)の
イスラエルとユダヤ教徒
キリスト教徒など他宗教の信者に対する破邪がございますが
他宗教の信者の方々自身に対しては非常に敬意を持って領納してございますから
経の表象も敬意を持って領解(りょうげ)してございます。
クルアーン
第17章
イスラエル
(メッカ啓年)
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
17-1.
かれに栄光あれ。そのしもべを
(マッカの)聖なるマスジドから
われが周囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジドに
夜間
旅をさせた。わが種々の印をかれ(ムハンマド)に示すためである。本当にかれこそは全聴にして全視であられる。
17-2.
われはムーサーに啓典を授け
イスラエルの子孫ヘの導きとさせ(命じ)た。「われの外に守護者を持ってはならない。」
17-3.
われがヌーフと一緒に(方舟で)運んだ者の子孫よ。本当にかれは感謝するしもベであった。
17-4.
またわれは啓典の中で
イスラエルの子孫に対しこう啓示を与えた。「あなたがたは必ず地上で2度悪を犯し
必ず甚だしく高慢に思いあがるであろう。」
17-5.
それで2つの中最初の時(預言)が来た時
われはしもべの中の武勇に富んだ者を
あなたがたに遣わし
かれらは家々の最も奥に入り
約束は成し遂げられた。
17-6.
次いでわれは
あなたがたがかれらに勝利を得るようにし
またあなたがたの財産と子女を増やして多くの人々とした。
17-7.
(そして仰せられた。)「もしあなたがたが善を行うなら
自分の身のために善を行うのであり
また悪を行っても
自分のため(に行うの)である。」それで2番目の時が来た時
あなたがたの顔は曇り
最初の時のように
かれらはマスジドに侵入し
凡てはかれらによって徹底して踏み躙られ壊滅に帰した。
17-8.
或るいは主もあなたがたに情けを与えるであろう。だがあなたがたが(罪を)繰り返すならば
われも(懲罰を)繰り返すであろう。われは不信者のために
地獄を牢獄として設けた。
17-9.
本当にこのクルアーンは
正しい(道への)導きであり
また善い行いをする信者への吉報である。かれらには偉大な報奨が授けられる。
17-10.
また来世を信じない者には
われはかれらのために痛ましい懲罰を準備した。
17-11.
人間の祈りは幸福のためであるべきなのに
かれは災厄のために祈る。凡そ人間はいつも性急である。
17-12.
われは夜と昼の2つの印を設け
夜の印を暗くした。だが昼の印は明るくして
あなたがたに(働いて)主の恩恵を祈らせ
また年数を知り
(暦法を)計算させる。われは凡てのことを詳細に説き明かした。
17-13.
一人ひとりに
われはその運命を首に結び付けた。そして復活の日には
(行いの)記録された一巻が突き付けられ
かれは開いて見る。
17-14.
(かれは仰せられよう。)「あなたがたの記録を読みなさい。今日こそは
あなた自身が自分の清算者である」
17-15.
誰でも導かれる者は
只自分の魂を益するために導かれ
また誰でも迷う者は
只自分を損うために迷う。重荷を負う者は
他人の重荷を負うことは出来ない。われは(警告のため)一人の使徒を遣わさない限り決して懲罰を下さない。
17-16.
われが一つの町を滅ぼそうとする時は
かれらの中で裕福に生活し
そこで罪を犯している者に(先ず)命令を下し
言葉(の真実)がかれらに確認されて
それからわれはそれを徹底的に壊滅する。
17-17.
ヌーフの後
如何に多くの世代を
われは滅ぼしたことであろうか。あなたの主は
そのしもべたちのいろいろな罪を知っておられ
見ておられる方として万全である。
17-18.
誰でも束の間(のこの世の事物)を望む者には
われも急いでかれのために
われの欲する物をわれが望む者に与える。それからかれのために地獄を準備する。かれはそこで焼かれ
恥辱を被り
(慈悲を)拒否されるであろう。
17-19.
しかし誰でも来世を望み
それに向かい精出し努力し
信仰する者
これらの者の努力は嘉納される。
17-20.
われは凡ての者に
これらの者にもまたかれらにも
あなたの主の賜物を広く授ける。あなたの主の賜物には限界はないのである。
17-21.
見なさい。われはある者に
如何に外よりも優れた恩恵を与えるかを。しかし来世では
必ずもっと大きい等級や偉大な特典がある。
17-22.
アッラーと一緒に外の神を立ててはならない。さもないと
あなたがたは軽蔑され見捨てられるであろう。
17-23.
あなたの主は命じられる。かれの外何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行しなさい。もし両親かまたそのどちらかが
あなたと一緒にいて老齢に達しても
かれらに「ちえっ」とか荒い言葉を使わず
親切な言葉で話しなさい。
17-24.
そして敬愛の情を込め
両親に対し謙虚に翼を低く垂れ(優しくし)て
「主よ
幼少の頃
わたしを愛育してくれたように
2人の上に御慈悲を御授け下さい。」と(祈りを)言うがいい。
17-25.
主はあなたがたの心の中に抱くことを熟知なされる。もしあなたがたが正しい行いをするならば
かれは悔悟して度々(主に)返る者に対し
本当に寛容である。
17-26.
近親者に
当然与えるべきものは与えなさい。また貧者や旅人にも。だが粗末に浪費してはならない。
17-27.
浪費者は本当に悪魔の兄弟である。悪魔は主に対し恩を忘れる。
17-28.
あなたは主からの慈悲を請い願うために
仮令かれらから遠ざかっていても
あなたはかれらに対し優しく語りなさい。
17-29.
あなたの手を
自分の首に縛り付けてはならない。また限界を越え極端に手を開き
恥辱を被り困窮に陥ってはならない。
17-30.
本当にあなたの主は
御心に適う者への報酬を豊かにされ
また控えられる。かれはそのしもべに関し
本当に全知にして全視であられる。
17-31.
貧困を恐れてあなたがたの子女を殺してはならない。われはかれらとあなたがたのために給養する。かれらを殺すのは
本当に大罪である。
17-32.
私通(の危険)に近付いてはならない。それは醜行である。憎むべき道である。
17-33.
正当な理由による以外は
アッラーが尊いものとされた生命を奪ってはならない。誰でも不当に殺害されたならば
われはその相続者に賠償または報復を求める権利を与える。殺害に関して法を越えさせてはならない。本当にかれは(法によって)救護されているのである。
17-34.
孤児が力量(ある年齢)に達するまでは
最善(の管理)をなすための外
かれの財産に近付いてはならない。約束を果たしなさい。凡ての約束は
(審判の日)尋問されるのである。
17-35.
それからあなたがたが計量する時は
(買い手のために)その量を十分にしなさい。また正しい秤で計りなさい。それは立派であり
その方が結果として最良になる。
17-36.
またあなたは
自分の知識のないことに従ってはならない。本当に聴覚
視覚
また心の働きの凡てが(審判の日において)尋問されるであろう。
17-37.
また横柄に地上を歩いてはならない。あなたがたは大地を裂くことも出来ず
また(背丈が)山の高さにもなれない。
17-38.
これらの凡ては悪事で
あなたの主は
これを憎まれる。
17-39.
これらは
主があなたに啓示された英知である。アッラーと一緒に外の神を立ててはならない。そうでないと恥辱を受け(慈悲を)拒否され地獄に投げ込まれるであろう。
17-40.
(多神教徒よ)主は男児をあなたがたに授け
(御自分は)天使の中から女児を取られたとするのか。本当にあなたがたは由々しき言葉を口にする者である。
17-41.
本当にわれはこのクルアーンで
かれらを戒しめるために繰り返し説いた。しかしそれは
只かれらの(真理からの)離反を加えるだけであった。
タルムード
ユダヤ教の聖典は『旧約聖書』ですが
冒頭の5書
「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」は特に重要とされ「モーセ五書」または「トーラー」(律法)と呼ばれます。さらに
モーセが神から授けられた法で
成文化されずに口伝で伝えられたものがあり
この口伝は3世紀頃に文書化され「ミシュナ」と呼ばています。このミシュナと
ミシュナをラビが解釈した「ゲマラ」から作成された日常生活の規範と
時代時代に対応した生きざまを記したものがタルムードです。
タルムードは
6部構成
63編から成る文書群で
現代のユダヤ教の主要教派のほとんどが聖典として認めており
ユダヤ教徒の生活
信仰の基となっているといわるものです。
■
ユダヤ王は真の世界の法王
世界にまたがる教会の総大司教となる。だが
一方で
われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に
後にはわれわれの宗教で再教育する間
われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども
教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。その場合
一般的には
われわれの現代社会はゴイムの国家問題
宗教
ゴイムの無能さを断罪し続けるが
常に
わが民天与の才能を振い
あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく
罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。<十七>
■
重ねて述べるが
臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては
盲目的に服従する。彼らはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……彼らは王者に天使の心を期待するのか?
彼らが王者に見たいのは力
力
力の権化なのである。<二十三>
■
ダヴィデ王の子孫のうちの数人が
相続権ではなく優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には
政治の最高機密と政府の仕組とが伝授されるが
常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は
このような秘義を授けられたことがない者には
政府を委すことはできないということを徹底させることにある。これらの人々にのみ
何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ
私がこれまでに述べたような計画の実際化や
政治経済運動や社会科学研究の全成果-一言で言えば
人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理-が伝授される。<二十四>
■
たとえ残忍であったとしても無条件に断固たる人物にのみ
われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。……通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて
最も親しい助言者たちにも知らされない。王と三人の顧問のみが
将来の計画を知っている。断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には
万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので
あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に
前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは
そのためである。<二十四>
■
ユダヤ王は自分の感情
とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも
荒々しい本能に精神をしのがせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも
明晰に見る力を殺ぎ
思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。ダヴィデの聖なる子孫である全世界統治王その人は
人類の支柱であり
人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない。<二十四>
■
あなたは
あなたの神
主の聖なる民である。あなたの神
主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び
御自分の宝の民とされた。(申命記
七章六)
■
主はあなたの意のままにあしらわせ
あなたが彼らを撃つときは
彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず
彼らを憐れんではならない。
(申命記
七章二)。
■
世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして
他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼らはことごとく空皮に過ぎざればなり。<イェシャヤ法師>
■
神言い給う
我は我が予言者を畜獣に過ぎざる偶像崇拜の徒の為に遣わしたるにあらず。人間なるイスラエル人の為に遣わしたるなり。(ミトラシュ・コヘレート)
■
人間の獣に優れる如く
ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。<アブラハム・ゼバ法師>
■
もしイスラエル人無かりせば
この世に幸福なかりしならん。これ申命記二八の八に記されたる如し。またイスラエル人無かりせば
天の諸星も昇らざるべし。これエレミヤ記三三の三五に記されたる如し。また地の上に雨の降る事なかるべし。これ申命記二八の一二に記されたる如し。<シメオン・ハダルサン法師>
■
選ばれたる民のみ永遠の生命を受くるにふさわしく
他の国人はロバに等し。<アバルバネル法師>
■
「汝は主なる汝の神が汝に与え給いしすべての民を喰い尽くさん」との文句(申命記七ノ十六)は
今は亡き吾等の教法師達により次の如く解せられたり。すなわち
すべての民を喰い尽くし
すべての民より掠奪することは
彼らすべてが吾等の権力下に置かれる時に始まるべし
と。<ベハイ法師>
■
神はユダヤ人にすべての方法を用い
詐欺
強力
高利貸
窃盗によってキリスト教徒の財産を奪取することを命ずる。(オルディン一
トラクト一
ディスト四)
■
吾々はタルムードがモーゼの律法書に対して絶対的優越性を有することを認むるものなり。(イスラエル文庫
一八六四年)
■
律法(聖書)は多少とも重要ではあるが
長老方が聖典に記された言葉は常に重要である。
■
掟の言葉より法師の言葉を敬え。<アシ法師>
■
汝知るべし
法師の言葉は予言者の言葉より美し
と。<アシ法師>
■
教法師の言葉は
生ける神の言葉なり。<ベハイ法師>
■
教法師の日常の言辞も
誡律同様に重んずべきなり。(ヴェネツィア版ミトラシュ
一五一六年版)
■
もし法師
汝の右の手を左の手と言ひ
左の手を右の手と言ふとも
彼の言葉に違ふべからず。<アシ法師>
■
タルムードの決定は
生ける神の言葉である。エホバも天国で問題が起きたときは
現世のラビに意見を聞き給う。(ラビ・メナヘン
第五書の注解)
■
法師の言葉を嘲る者は
地獄の煮え立つ糞の中にて罰せらるべし。<アシェル法師>
■
ラビの言葉に背くことはトーラーに背くことよりも
さらに悪い。(ミズナ
サンヘドリン
十の三)。
■
ラビの言葉を変える者は死罪に処すべきである。(エルビン
二一のb)
■
トーラを学ぶゴイは死罪に当る者なり。<モシェー・バル・マエモン>
■
なんじらは人類であるが
世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。(ババ・メチア
一四六の六)。
■
汝等イスラエル人は人間なれど
他の民族は人間に非ず。彼らの魂穢れし霊より出でたればなり。<メナヘム・ベン・シラ法師>
■
イスラエル人は人間と呼ばる。しかれども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものなれば
豚と呼ばるるなり。<ロイベン法師>
■
イスラエル人はアダム(人間)と呼ばれん。然れど他の諸族はアダムと呼ばるることなし。<アブラハム・ゼバ法師>
■
悪魔と世界の諸民族とは
畜獣に数えらるべきなり。<ナフタリ法師>
■
犬は異邦人より勝れたるものなり。<アシ法師>
■
聖書に「隣人」と記されたる個処はいづれも非ユダヤ人を含まざるなり。(「シュルハン・アルフ」の注釈書より)
■
レビ記十九章十一節には
汝は汝の隣人に不法を為すべからず
と記されたり。この文句は
ゴイ(非ユダヤ人)がその中に含まれ居らざる事を明白に示すものなり。
■
ゴイが住んでいる家を見て
人はこう言った。〝神は傲慢の家を亡ぼすだろう〟。そして家々が亡ぼされたのを見て人は言った。〝復讐の神が顕現されたのだ〟(バビロニアン・タルムード
ベラチョット
五八の六)。
■
汝殺すなかれ
との掟は
イスラエル人を殺すなかれ
との意なり。ゴイ
ノアの子等
異教徒はイスラエル人にあらず。<モシェー・バル・マエモン>
■
神はイスラエル人を審くには立ちてなし
尋問も簡単にして速かなり。世の諸民族を審く時は座して
厳格に長々と取調べをなす。<ラバ・バル・ナハマニ法師>
■
「世界はただイスラエル人のみの為に造られたり。」この文句は極めて明瞭なれど
人々はこれをなおよく熟考し
また味うべきなり。イスラエル人に掟の与えられし時
イスラエル人はその掟によりて種々の美点をことごとく保持せしが
他の民は掟を受入れざりしによりこれらの美点を全く有せざるなり。<アブラハム・ゼバ法師>
■
イスラエル人は
他のすべての民に対し優越する者なり
他の諸族の中には賢く利き者唯一人も居らざるに
イスラエル人にあっては全部が特に賢く利き人間なり。
<アブラハム・ゼバ法師>
■
一人のイスラエル人の魂は神の前において他の民族全部の魂より価値多く
また神によって悦ばるるところのものなり。<シェフテル・ホルヴィッツ法師>
■
ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが
ユダヤ人がゴイを殺すも責めは負わず。(前掲書
Ⅷの五)
■
悪しき者(非ユダヤ人)を憐むことは
正しき者(ユダヤ人)に相応わしからぬなり。<ゲルソン法師>
■
ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。<モシェー・バル・マエモン>
■
拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は
ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにして
ゴイに対しては然らず。この事に就き亡き吾等の教法師達の言えるあり。即ち
「遺失物とはすべて汝の兄弟の失いしところの物を指すものにして
ゴイの失える物は然らず。その理由は
ゴイは神に属する者に非ずして
地の邪神に属する者なる故なり。故にゴイの失える総べての物は
この世にては再び見付けらるる事なき遺失物にして
その所有者に還るべきにあらず。財宝は唯イスラエル人にふさわしく
他の民はこれに値いせざるものなればなり。これ預言者イザヤ(二六ノ一九)の言えるが如し」と。<ゲルソン法師>
■
ゴイの耳は不潔である。かれらの浴槽
住居
田園は不潔である。(トセフタ・ミクワト
vの一)
■
九歳と一日以上のゴイの少年と
三歳と一日以上の少女は
不潔とみなされる。(パーフォコヴィッツ
タルムード
t・v
一一頁)
■
他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。(シュルハンアルクのショッツェン・ハミッバッド三百四十八)
■
ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には
その責任を負うべきであるが
ユダヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。(トセフタ
アブダ・ザラ八の五)
■
〝盗賊〟という言葉の解釈。ゴイは
ゴイからであろうとユダヤ人からであろうと
盗むこと奪うこと女奴隷を使うことは禁じられる。だがユダヤ人はゴイに禁じられているこれらのすべてのことを為しても禁じられない。(トセフタ
アボダ・ザラ
Ⅷの五)。
■
すべてのイスラエル人は一定の法式により動物及び動物視されている非ユダヤ人を屠ることを許さる。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
ユダヤ女を求め得る場合には
異邦女の乳を幼児に吸わしむべからず。異邦女の乳は心眼を閉ざし
悪しき性格を形成するが故なり。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
偶像礼拝に帰依せる非ユダヤ人及び賎しき牧人はこれを殺すことを許さず。されど彼らが危険に面しまた死に瀕せりとて彼らを救うことは許されず。例えば彼らの一人水に落ちたる時
報酬ある場合といえども彼を救い上ぐるべからず。また彼らを瀕死の病よりも癒すべからず・・・報酬ある場合といえども。しかれども吾等と彼らの間に敵意の生ずるを防止する為ならば
報酬無き場合にも彼らを救出し
また癒すことを許さる。しかれども偶像を拝む者
罪を犯す者
掟と預言者を否む者は
これを殺すべし。しかして公然と殺すを得ば
その如くなせ。しかするを得ざる場合には
彼らの死を促進せよ。例えば彼らの一人井戸に落ちたる時
その井戸に梯子あらば
これを取去り
直ちに再び持来るべしとの遁辞を用い
かくすることにより落ちたる者の身を救い得べき道を奪うべし。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
非ユダヤ人の証人たるところの証書はすべて無効なり。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
成人せる非ユダヤ人奴隷は
牧者なき家畜の如し。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
すべてゴイは月經時の子にして
根絶さるべきものなり。<ベハイ法師>
■
キリスト教徒は異教徒なり。<アバルバネル法師>
■
改宗してユダヤ人となれる者は
同様にユダヤ教に改宗せるその母あるいは伯母と婚姻するも差支えなし。改宗者は新たに生れたる者と見なされ得る故なり。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
二十四項の罪あり。これに触るる者は除名さる。例えば第八項
その地所を非ユダヤ人に売りたる者
第九項
非ユダヤ人法廷においてその隣人(即ちイスラエル人)に対し不当なる証言を為せる者
等。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
非ユダヤ人及び奴隷も証言を為す資格なし。敵・混血児・裏切者・自由思想家・変節者(背教者)
キリスト教の洗礼を受けたる者はゴイ(非ユダヤ人)より更に悪しければ
同じく証言を為すを得ず。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
他の宗教に改宗したる者は
盗賊になりたると等し。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
汝知るべし
イエスの教に従いて迷えるキリスト教諸国民は
その信仰には種々あれども
ことごとく偶像礼拝者なり。故に彼らは偶像礼拝者相応に扱わるべし。これタルムードの説くところなり。<モシェー・バル・マエモン>
■
決して偶像礼拝者と事を共にするなかれ。また彼らを憫むべからず。その故は
申命記七章二節にその如く記されたればなり。故に非ユダヤ人が生命の危険に瀕するか
あるいは河に溺るるを見るとも
これを救助することは許されず。<モシェー・バル・マエモン>
■
偽善はこの世においては許さる。すなわち
背神者に対し慇懃になし
彼らを敬い
彼らに向いて「我汝を愛す]と言うもよし。すなわち
必要上止むを得ざる場合
恐怖に駆られたる場合は然り。<ベハイ法師>
■
すべてこれらの条項(三十箇条のユダヤ信仰箇條)を信ぜざる者は異教徒なり。故にかかる者を憎むは吾等の義務にして
彼を賎しみ
出来得べくんばその亡ぼし
また根絶するは当然の事なり。<アバルバネル法師>
■
他の諸族はイスラエル人と同じ姿を有すれども
真の人間に比ぶれは模造に過ぎず。彼らは
ダニエル書四の十四・十七に記されたる如く
劣等なる種類の人間なり。これに対しイスラエル人はアダム(人間)なる語の真の意味における高き価値ある人間にして
この故にまた単に人間とも呼ばるるなり。<シメオン・ハダルサン法師>
■
偶像礼拝者は畜獣と呼ばるべきものにしてただ最広義においてのみ人間と呼ばれ得るに過ぎず。<ロイベン法師>
■
非ユダヤ人はイスラエル人の財産に対し所有権を有せず。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
ゴイの財産は主なき物品のごとし。(シュルハン・アルーフ
コーゼン・ハミズパット
一一六の五)。
■
ゴイの土地は荒野のごとし。最初に鍬を入れた者に所有権が帰する。(ババ・バトラ
一四のb)。
■
ユダヤ人はゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは金を持つべきではなく
持てば神の名において不名誉となるだろう。(シュルハン・アルーフ
コーゼン・ハミズパット
三四八)
■
ノアの息子は小銭たりとも盗めば死罪に処せらるべきであるが
イスラエル人がゴイに損害を負わせることは差支えなし。なんじの隣人を傷つけるなかれとは書いてあるが
ゴイを傷つけるなかれとは書かれていない。(ミズナ
サンヘドリン
五七)。
■
ゴイの失せ物を見付けた者は自分の所有にしてはならないが
ゴイに返すことは禁じられている。(シュルハン・アルーフ
コーゼン・ハミズパット
二六六の一)。
■
ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取るべからず。唯アクムよりのみこれを取るべし。しかしてかかる取引は使者をしてこれをなさしむべし。使者ならば
かく為しても
罪を犯したるには非ずして
戒律もまた遵守されたるなり。(シュルハン・アルフ
第二巻智慧の教)
■
タルムードの誡において神は命じて曰く
ゴイに金を貸すには必ず高利を以てすべし
と。これ
彼らが借りたる金により利する事なからんため
かつまた
我らが金銭にて彼らに助力を与うることなく
むしろ損害を与えんがためなり。<モシェー・バル・マエモン>
■
非ユダヤ人より盗みたる物を用いて女と婚約するは差支えなし。(シュルハン・アルフ
第四巻救いの岩)
■
ゴイに向って誓いを立てた者は
盗賊であれ税吏であれ
責任を取らなくてよい。(トセフタ・スゼブノット
一一)
■
結婚
誓約
約束を取り消すには
ユダヤ人はラビの所に行かねばならぬが
ラビが不在の場合は
他のユダヤ人を三人呼び集め
かれらに残念ながら取り消すと言えばよい。そうすると三人は〝なんじは許された〟と言う。(シュルハン・アルーフ
二
一の二四七)
■
ゴイにわれらの信教を教える者は
ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイがわれらの教説を知ったならば
かれらは公然とわれらを殺すだろう。(リブル・デヴィッドの書
三七)
■
律法の秘密を公にすることは禁ぜられる。これを破る者は全世界を葬るに等しい犯罪である。(ジャクトゥ・ハダズ
一七一の二)
■
ユダヤ人がラビの書物のどこかを説明してくれと頼まれたなら
ただただ嘘の説明をするべきであり
ほんとうのことを教えてこの指示を裏切る共犯者となってはならない。この律法を破る者は生かしておいてはならない。(リブル・デイヴィド
三七)
■
ゴイがわれらの書物には何かゴイを害することが書いてあるのではないかと聞いたら
偽りの誓いを立てなければならない。そして
そのようなことは誓って書いてないと言わなければならない。(ザーロット・ウザボット
ジュル・ダの書
一七)
■
タルムードを学ぶゴイ
それを助けるユダヤ人はことごとく生かしておいてはならない。(サンヘドリン
五九
ア・アボダ・ゾラ
八の六。ザギガ
一三)
■
神よ
あなたを信ずることなく
その御名を称えざる民どもの上に
あなたの怒りを注がしめ給わんことを。かかる民どもの上にあなたの怒りを下らしめ
あなたの怒りもて屈伏せしめ給え。かの民どもをあなたの怒りもて追い散らし
粉々に打ち砕き給え。おお神よ
かの民どもの骨をすべて抜き取り給え。あなたの民に敵対するものすべてを瞬時に殺傷し給え。これら存在の価値なき民どもを根絶
四散
殱滅し給え。誅殺し給え!
今ただちに誅殺し給え!(プラナイティス
クリスマス・イン・タルムード・ジュデオラム
『シナゴーガ・ジュダイカ』二一二頁
『ミンハギン』二三頁
『クラチ・シャイム』四八〇頁。過越祭の夕の祈りで現在も唱えられているもの)
■
(新年二日以前のもの)彼ら非ユダヤ人の評議を狂気をもって悩まし
その思想を乱し給え。彼らの君侯を狂気ならしめ
彼らが吾々になしし如く彼らになし給え。(「ユダヤ祈祷集」より)
■
何者かが三度ユダヤ人を裏切るか
もしくは(ユダヤ人の)金をゴイどもに渡したことが疑いない場合は
賢人会議はその男を放逐しなければならない。
■
裏切り者を放逐せんがために
何人も共同体に寄付をしなければならない。(前掲書)
■
涜神者(非ユダヤ人)の血を流す者は
神に生贄を捧ぐるに等しきなり。<シメオン・ハダルサン法師>
■
自由思想家及びトーラと預言者を否む者を殺すは掟なり。公然と刀剣を以て為し得る時は然かなすべし。もし然か為し得ずば
策計をめぐらして死に至らしむべし。(シュルハン・アルフ
第三巻正義の楯)
■
トーラーを持たざる者と予言する者とを
すべて殺さなければならない。彼らを殺す力ある者は
剣あれば憚ることなく剣もて殺せ。剣なければ策略もて放逐せよ。(シュルハン・アルーフ
コーゼン・ハミズパット
四二五の五〇)。
■
キリスト教徒の中最も善き者を絞殺すべし。<アシ法師>
シンガー・ソングライターの谷村新司さんと石井竜也さんが7日、東京都港区内で記者会見し、共作した歌の印税を毎日希望奨学金に寄付し、東日本大震災の震災遺児を継続的に支援する「風の子守歌プロジェクト」を発表した。両氏から、同奨学金を受給する石巻専修大2年の勝又友章さん(20)と毎日新聞社の朝比奈豊社長にCDが贈呈された。 歌の題名は「風の子守歌~あしたの君へ~」。震災後の日本を担う子供を思い、谷村さんが作詞、石井さんが作曲し2人で歌う。作詞、作曲家に払われる印税は、同奨学金に寄せられ、震災で親を亡くした子供たちの学費に充てられる。
投稿者: mainichi
投稿日時:2012-02-07 22:45:09.0
視聴回数:14662回
お気に入り登録:0
カテゴリ:
全国
ニュース・天気
タグ:
谷村新司
石井竜也
チャリティ
動画
毎日
大阪女学院の学生を中心に他大学の学生とも協力し、震災から3日がたった3月14日と15日に天王寺付近で東北地方太平洋沖地震の被災地復興のための義援金への協力を呼びかけました。皆様から集まった義援金は2日間で57万円となり、日本赤十字社へ寄付いたしました。 今回、学生の行動に賛同してくださった方々に心から感謝申し上げます。一人一人、皆さんの想いが被災者の方々の生きる力になると私たちは信じ、今後も皆様の想いを被災地へと責任をもって届けさせていただきます。ご協力ありがとうございました。
投稿者: mainichi
投稿日時:2011-03-28 14:39:54.0
視聴回数:6609回
お気に入り登録:0
カテゴリ:
全国
大阪
ニュース・天気
めっちゃ関西
東日本大震災
ニュース・天気
タグ:
大阪女学院
大学
短期大学
被災者へメッセージ
義援金
募金
東北地方太平洋沖地震
学生
Osaka
Jogakuin
College
Osaka
Jogakuin
アジアのオペラ史上最高のテノール・ベー・チェチョルさんのコンサート! (収益金は所沢市の福祉関係団体へ寄付されました) ・クラフト出店では、北タイやフィリピン、カンボジア等社会の片隅に追いやられている貧しい人達や少数民族が手がけたクラフトを販売しました。利益は現地の職人の方々へ還元される仕組みです。
投稿者: monyoake
投稿日時:2010-12-12 10:47:28.0
視聴回数:1524回
お気に入り登録:0
カテゴリ:
イベント
地域活性
音楽
タグ:
所沢市民クリスマス
貧困
人身売買
幼児虐待
売春
エイズ
麻薬中毒
フィリピン
カンボジア
北タイ
アカ族
教会
オレンジ・カフェ・チャーチ
門よ開けミニストリー
ドリームネットワーク
イエス・キリスト
Jesus
Christ
http://eyesvoice.net/ Eyes'(アイズ) 福岡県出身 5枚目のオリジナルCD「Tears 4 me」が、全国のCD店にて絶賛発売中。 横浜を中心にストリートライブを重ね、現在、全国のTVやラジオへの出演、そしてライブを精力的に行っている。 その傍ら、あらゆる社会問題にも意識が高く、毎年横浜で開催されているチャリティーランのテーマソングを唄い、また、シェルターやステップハウスを支援しているDream&Powerへの参加を積極的に行っている。 今夏、全国でチャリティー上映される映画「てるてる坊主と金魚姫」の主題歌としてEyes'のオリジナルソング「あたしがんばろ」が採用されている。 昨年の12月にはNHK横浜放送局に注目され、サウンドシャトル生放送にて約50分間のEyes'特集番組が組まれた。 まさにブレイク寸前の実力派シンガー。 3月5日(金)ラゾーナ川崎PLAZA HMVプレゼンツEyes'インストアライブ 1st:18時00分~ 2st:19時30分~ ラゾーナ川崎PLAZA ルーファ広場 ※ライブ後においてCD即売会あり。当日CDお買い上げのお客様はEyes'のサイン会&握手会にご参加いただけます。 Dream&Power 児童虐待などに苦しむ子供たちを保護する活動を行うシェルター「子どもセンターてんぽ」、あらゆる暴力被害等に会い一時避難をした後に自立支援活動を積極的に行う施設「共同の家プアン」に対して寄付支援活動を実施。 音楽イベントの力で参加者への関心を高めていく活動を行っている。 昨年12月に横浜赤レンガ第一倉庫ホールにて~音楽を通じて夢と力を~をテーマに掲げた第1回目のチャリティーライブイベントが開催され、今年の1月には横浜市内のライブハウスで第2回目を開催。 今年5月には横浜市内で3回目のチャリティーライブイベントが開催される。
投稿者: soundforte
投稿日時:2010-03-25 23:08:38.0
視聴回数:1026回
お気に入り登録:0
カテゴリ:
音楽
タグ:
Eyes'
feather
voice
ラゾーナ川崎
HMV
Dream
Power
Tears4
me