この世に楽に稼ぐということはないです。苦労して稼ぐのが常識です。騙されない用にしてください。 ブログ Masatoshi Ueda Vlog(メインブログ) http://naoto.minibird.jp/vlog/ 植田雅俊note https://note.mu/japan2
投稿者: masatosi95
投稿日時:2016-11-17 00:08:47.0
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参考記事: http://perfectlifeproject.com/archives/5125 トレンドアフィリエイトと相性が一番良いのはGoogleアドセンスですが、Googleアドセンス広告以外によってもアフィリエイト収入を稼ぐことができます! トレンドアフィリエイトならブログを初めてから短期間でアクセス水準を高められるけど、 ブログに訪問するユーザーの属性を絞れないから、不特定多数の人が興味を持つ広告を併用する必要があります! トレンドアフィリエイトを実践していく上では、Googleが提供しているサービス『Google Adsense』を使っていくことが常識となっていますが、 Googleアドセンス広告以外にも、トレンドアフィリエイトと相性の良いクリック報酬型広告もいくつか存在しています。
投稿者: 創職男子☆守淳史
投稿日時:2016-05-18 00:13:27.0
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参考記事:http://perfectlifeproject.com/profile 理想的な働き方がネットビジネスでした。 パソコン1台さえあれば、どこでも好きな場所で好きな時間に働くことができる。 『夢の実現にはこれしかない!』と直感し、ネットビジネスに取り組むようになりました。 パソコンはYOUTUBEを見ることぐらいにしか使っておらず、ビジネスをスタートさせるまでの前段階でもかなりつまづきました。 それでも、 ビジネスを実践し続けて3ヶ月経った頃には、毎月15万円以上の収入が得られるようになりました。
投稿者: 創職男子☆守淳史
投稿日時:2016-05-11 12:00:48.0
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参考記事:http://perfectlifeproject.com/archives/4650 トレンドアフィリエイトで稼ぐためには、マインドセットをしっかりと確立させることが大切です。 マインドセットとは、ものごとに対する考え方の体系のようなもので、 分野毎に必要なマインドセットは異なり、結果を出すためには常識として定着させる必要があります。
投稿者: 創職男子☆守淳史
投稿日時:2016-05-11 10:03:42.0
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風通しが良い、通気性のある穴を開けても防音効果が得られる技術を発明しました。従来は、密閉した扉や壁で遮断するのが常識でしたが、その必要はなくなり、風圧対策が必要な防音壁コストが大幅に軽減できたり、住居や居酒屋で間仕切りをしてもエアコンの風が抜けて、省エネ効果が期待できます。
投稿者: mainichi
投稿日時:2012-09-04 10:46:39.0
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アヴェ・ヴェルム・コルプス (お話です) 「ミシュナータルムードアヴォート編」 「殺人と死罪」 「神の所有物」 Murder And The Death Penalty The Conflicting View of the Bible and Talmud 殺人と死罪」 聖書とタルムードの相反する見解 Whoever sheds the blood of men, ... The Talmudic View of the Death Sentence Two Additional Talmudic rulings ... A Final Reflection on The Death Sentence ... Whoever sheds the blood of men, ... from The Bible 人の血を流す者は誰でも、人によって彼の血が流される、なぜならば、神のイメージで、神が人を創造したからである。 [ --- 創世記 9:6 ] 人は神のイメージで創造されたゆえに、一人の人間を殺すことは、また神に対抗した罪であると考えられている。 人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる。(この法律は計画的な殺人にのみ適用されることが続く句によって示されている):ただし、彼が故意にではないならば......私はあなたのために一つの場所を定める、彼(殺害者)はそこに逃れることができる。 [ --- 出エジプト記 21:12-13 ] あなたたちは、死罪の判決を受けた殺害者の生命と引き換に保釈金を受け取ってはならない;彼は死刑に処せられなければならない。 [ --- 民数記 35:31 ] 古代のユダヤ人のまわりの社会は、被害者の家族が殺害者から金を受け取ることを許していた、起訴あるいは報復を実行しないという彼らの同意の代償として。マイモニデスが説明しているように、「被害者の魂は彼の家族の所有物ではなく、神の所有物である」、それゆえに聖書はこの慣例を禁止した。 (Mishneh Torah, "Laws of Muder and Preservation of Life" , 1:4 ) 聖書は、殺害者と他の特別に憎むべき犯罪者(例えば、ある人が殺人を犯したと虚偽の証言をする証人、他人を誘拐して奴隷にしたり売ったりする人)を処刑するために、二つの理論的解釈を提供する: その1) そうすることで、ほかの者たちは聞いて恐れをいだき、このような邪悪な事があなた方の中で二度と繰り返えされないであろう。 [ --- 申命記 19:20 ] 簡潔に言うと、聖書は、殺害者の処刑は抑止として役に立つという議論を提供している。最近では、死刑に反対の人々が、殺害者の処刑がこの機能に役に立つと信じるための理由がない、と議論している。アメリカの前首席検事のRobert Bork 検事が皮肉をもって回答した:「処刑が抑止とならないという主張は普通の人の常識に反している、そしておそらくこの理由のゆえに、多くの社会学者によって熱烈に支持された一つの教義である」 その2) そして、あなたの中から邪悪を取り除かねばならない。 [ --- 申命記 19:19 and 24:7 ] 聖書は、それに従う人々に、邪悪を憎むように、そして異様に邪悪な行ないを犯した人々を滅ぼすように義務づけている。(邪悪を行なう人々を必要としていないけれども) 最後の分析で、連合国は Nuremberg でナチの指導者たちを絞首刑にした、そしてイスラエルは Adolf Eichmann を処刑した。 彼らは、そうすることが将来の殺人の抑止になるであろう、と考えたからではなく、また、もしこれらの人々を解放すれば再び殺人をするかもしれない、と恐れたからでもなかった。むしろ彼らは、ナチの邪悪が処罰を受けるに足りるほどの巨大な悪であると信じた;ラビたちは言う「measure for measure(目には目を)」。 しかし、聖書は大量殺人の場合にのみ処罰を是認していると人々が議論しないように、あらゆる無実の人間の生命は無限の価値がある、とユダヤ人の教えは主張している。一人の無実の人間の殺人は最終の邪悪である、より多い十人の殺人はその等級を増す、しかしその邪悪を増すものではない。
投稿者: 有馬徳彦
投稿日時:2012-06-12 17:50:47.0
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アヴェ・ヴェルム・コルプス
(お話です)
「ミシュナータルムードアヴォート編」
「殺人と死罪」
「神の所有物」
Murder
And
The
Death
Penalty
The
Conflicting
View
of
the
Bible
and
Talmud
殺人と死罪」
聖書とタルムードの相反する見解
Whoever
sheds
the
blood
of
men
...
The
Talmudic
View
of
the
Death
Sentence
Two
Additional
Talmudic
rulings
...
A
Final
Reflection
on
The
Death
Sentence
...
Whoever
sheds
the
blood
of
men
...
from
The
Bible
人の血を流す者は誰でも
人によって彼の血が流される
なぜならば
神のイメージで
神が人を創造したからである。
[
---
創世記
9:6
]
人は神のイメージで創造されたゆえに
一人の人間を殺すことは
また神に対抗した罪であると考えられている。
人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる。(この法律は計画的な殺人にのみ適用されることが続く句によって示されている):ただし
彼が故意にではないならば......私はあなたのために一つの場所を定める
彼(殺害者)はそこに逃れることができる。
[
---
出エジプト記
21:12-13
]
あなたたちは
死罪の判決を受けた殺害者の生命と引き換に保釈金を受け取ってはならない;彼は死刑に処せられなければならない。
[
---
民数記
35:31
]
古代のユダヤ人のまわりの社会は
被害者の家族が殺害者から金を受け取ることを許していた
起訴あるいは報復を実行しないという彼らの同意の代償として。マイモニデスが説明しているように
「被害者の魂は彼の家族の所有物ではなく
神の所有物である」
それゆえに聖書はこの慣例を禁止した。
(Mishneh
Torah
"Laws
of
Muder
and
Preservation
of
Life"
1:4
)
聖書は
殺害者と他の特別に憎むべき犯罪者(例えば
ある人が殺人を犯したと虚偽の証言をする証人
他人を誘拐して奴隷にしたり売ったりする人)を処刑するために
二つの理論的解釈を提供する:
その1)
そうすることで
ほかの者たちは聞いて恐れをいだき
このような邪悪な事があなた方の中で二度と繰り返えされないであろう。
[
---
申命記
19:20
]
簡潔に言うと
聖書は
殺害者の処刑は抑止として役に立つという議論を提供している。最近では
死刑に反対の人々が
殺害者の処刑がこの機能に役に立つと信じるための理由がない
と議論している。アメリカの前首席検事のRobert
Bork
検事が皮肉をもって回答した:「処刑が抑止とならないという主張は普通の人の常識に反している
そしておそらくこの理由のゆえに
多くの社会学者によって熱烈に支持された一つの教義である」
その2)
そして
あなたの中から邪悪を取り除かねばならない。
[
---
申命記
19:19
and
24:7
]
聖書は
それに従う人々に
邪悪を憎むように
そして異様に邪悪な行ないを犯した人々を滅ぼすように義務づけている。(邪悪を行なう人々を必要としていないけれども)
最後の分析で
連合国は
Nuremberg
でナチの指導者たちを絞首刑にした
そしてイスラエルは
Adolf
Eichmann
を処刑した。
彼らは
そうすることが将来の殺人の抑止になるであろう
と考えたからではなく
また
もしこれらの人々を解放すれば再び殺人をするかもしれない
と恐れたからでもなかった。むしろ彼らは
ナチの邪悪が処罰を受けるに足りるほどの巨大な悪であると信じた;ラビたちは言う「measure
for
measure(目には目を)」。
しかし
聖書は大量殺人の場合にのみ処罰を是認していると人々が議論しないように
あらゆる無実の人間の生命は無限の価値がある
とユダヤ人の教えは主張している。一人の無実の人間の殺人は最終の邪悪である
より多い十人の殺人はその等級を増す
しかしその邪悪を増すものではない。
実際に
ラビたちは信じている:たった一人が殺された
その多くの場合は
大量殺人の種類を構成している。これは創世記
4:10
にあるエピソードに基づいた見解である。
カインが弟のアベルを殺した時に
神は彼に叫んだ
「大地からお前の兄弟の血が私に泣き叫んでいる」この神が使った言葉は「d'mai」これは「bloods(血の複数形)」を意味する。ラビたちは質問している
なぜそれは”your
brother's
bloods”なのか
”your
brother's
blood”ではいのか?彼らは答えている
「彼の血と全ての彼の子孫(決して生まれはしなかったが)の血」
[
---
Mishna
Sanhedrin
4:5
]
このように殺人者は
被害者から生まれるはずであった子供たち
そしてその彼らの子孫の全て
時が終わるまでの全て
に対して罪を担う。
聖書は死刑に関してとても多くの制限を置いている:少なくとも二人の証人があった場合に限って
死刑が実行されることができる。
[
---
申命記
17:6
]
アヴェ・ヴェルム・コルプス (お話です) 意識の解釈の基準の解釈についてと 解釈の基準の変更と頻度についてと、 価値基準の合意と否合意の頻度と 解釈のしくみと 価値基準の方向性と 価値尺度の厳密性と 力への意思と支配への意思が 固定的に領納していくことを 停止するとき 放射状のしくみが これらが固定していくことを防止して 解釈の固定も止めますが、 同時に、解釈の基準の 変更の頻度から 解釈と解釈の 差分を示すとき 不確実性が侵入します。 常識の強い健全性のについて ソビエトと 経済相互援助会議(Советская и Совета Экономической Взаимопомощи ((СЭВ) SEVセフ)の諸国についてと 社会主義とソビエト共産党についてと 労働系、社会運動系の組織が 各国の政府与党であることから 雇用者が仮にも資本市場の取引を 開示してございますから、 組合費、農業団体の費用の 収支の開示の 必要性についてと 十住毘婆沙論について
投稿者: 有馬徳彦
投稿日時:2012-05-24 02:41:13.0
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アヴェ・ヴェルム・コルプス
(お話です)
意識の解釈の基準の解釈についてと解釈の基準の変更と頻度についてと
価値基準の合意と否合意の頻度と解釈のしくみと価値基準の方向性と価値尺度の厳密性と力への意思と支配への意思が固定的に領納していくことを停止するとき放射状のしくみがこれらが固定していくことを防止して解釈の固定も止めますが
同時に
解釈の基準の変更の頻度から解釈と解釈の差分を示すとき不確実性が侵入します。
常識の強い健全性のについて
ソビエトと経済相互援助会議(Советская
и
Совета
Экономической
Взаимопомощи
((СЭВ)
SEVセフ)の諸国についてと社会主義とソビエト共産党についてと
労働系
社会運動系の組織が各国の政府与党であることから雇用者が仮にも資本市場の取引を開示してございますから
組合費
農業団体の費用の収支の開示の必要性についてと
十住毘婆沙論について
アヴェ・ヴェルム・コルプス (お話です) 意識の解釈の基準の解釈についてと 解釈の基準の変更と頻度についてと、 価値基準の合意と否合意の頻度と 解釈のしくみと 価値基準の方向性と 価値尺度の厳密性と 力への意思と支配への意思が 固定的に領納していくことを 停止するとき 放射状のしくみが これらが固定していくことを防止して 解釈の固定も止めますが、 同時に、解釈の基準の 変更の頻度から 解釈と解釈の 差分を示すとき 不確実性が侵入します。 常識の強い健全性のについて ソビエトと 経済相互援助会議(Советская и Совета Экономической Взаимопомощи (СЭВ) SEVセフ)の諸国についてと 社会主義とソビエト共産党についてと 労働系、社会運動系の組織が 各国の政府与党であることから 雇用者が仮にも資本市場の取引を 開示してございますから、 組合費、農業団体の費用の 収支の開示の 必要性についてと 十住毘婆沙論について
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価値基準の合意と否合意の頻度と解釈のしくみと価値基準の方向性と価値尺度の厳密性と力への意思と支配への意思が固定的に領納していくことを停止するとき放射状のしくみがこれらが固定していくことを防止して解釈の固定も止めますが
同時に
解釈の基準の変更の頻度から解釈と解釈の差分を示すとき不確実性が侵入します。常識の強い健全性のについてソビエトと経済相互援助会議(Советская
и
Совета
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Взаимопомощи
(СЭВ)
SEVセフ)の諸国についてと社会主義とソビエト共産党についてと労働系
社会運動系の組織が各国の政府与党であることから雇用者が仮にも資本市場の取引を開示してございますから
組合費
農業団体の費用の収支の開示の必要性についてと十住毘婆沙論について
アヴェ・ヴェルム・コルプス(お話です)有部(部派仏教)と中観派(大乗仏教)の論争について◎有部(カタヤーヤニプトラが始祖で教説書が「倶舎論」で、紀元前(ビフォークライスト)B.C.200年頃に成立しました。自我は非実在で諸法は実在であり、宇宙の法理(ダルマ)を五つの範疇と七十五の要素(五位七十五法)に分けて体系を示して、体を抽象的常識的な「ありかた」「本質」と領解(りょうげ)します。『「ありかた」が有る』ことを示して時間的空間的規定を領納(感受)して滅する場合と時間的空間的規定を超越して普遍的なものに領納する場合の2つの場合を領解します。体滅説(諸法が消滅)と用滅説(諸法の作用が消滅)も有部の思想です。有部が大乗の主要な論敵の部派になります。他方、上座部から大乗仏教の前身の大衆部が分派して、有部がこの200年後にやはり上座部から分派しました。)・・・・・・・・・・・・・・・・◎中観派(ナーガールジュナ(=龍樹)が始祖で教説書が「中論」で、紀元(アフタードミネ)A.D.2世紀頃に成立しました。『「ありかた」が有る』ということでなく「ありかた」そのものを示しました。有か無かという両極端を排斥して断見も排斥しました。有と無を相対的に区別して真実は空かつ中道であるとする教えで無に対して立脚するものが有でありこの『「有」と「無」』が無であるということを領解しました。時間的空間的規定を領納(感受)して滅する場合と時間的空間的規定を超越して普遍的なものに領納する場合の2つのうち時間的空間的規定を超越して普遍的なものの場合について領解します。万物は不変の実体のない空から成る(般若の空観)の大乗の教説を示しました。)
投稿者: 有馬徳彦
投稿日時:2012-04-25 21:20:23.0
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アヴェ・ヴェルム・コルプス(お話です)有部(部派仏教)と中観派(大乗仏教)の論争について◎有部(カタヤーヤニプトラが始祖で教説書が「倶舎論」で
紀元前(ビフォークライスト)B.C.200年頃に成立しました。自我は非実在で諸法は実在であり
宇宙の法理(ダルマ)を五つの範疇と七十五の要素(五位七十五法)に分けて体系を示して
体を抽象的常識的な「ありかた」「本質」と領解(りょうげ)します。『「ありかた」が有る』ことを示して時間的空間的規定を領納(感受)して滅する場合と時間的空間的規定を超越して普遍的なものに領納する場合の2つの場合を領解します。体滅説(諸法が消滅)と用滅説(諸法の作用が消滅)も有部の思想です。有部が大乗の主要な論敵の部派になります。他方
上座部から大乗仏教の前身の大衆部が分派して
有部がこの200年後にやはり上座部から分派しました。)・・・・・・・・・・・・・・・・◎中観派(ナーガールジュナ(=龍樹)が始祖で教説書が「中論」で
紀元(アフタードミネ)A.D.2世紀頃に成立しました。『「ありかた」が有る』ということでなく「ありかた」そのものを示しました。有か無かという両極端を排斥して断見も排斥しました。有と無を相対的に区別して真実は空かつ中道であるとする教えで無に対して立脚するものが有でありこの『「有」と「無」』が無であるということを領解しました。時間的空間的規定を領納(感受)して滅する場合と時間的空間的規定を超越して普遍的なものに領納する場合の2つのうち時間的空間的規定を超越して普遍的なものの場合について領解します。万物は不変の実体のない空から成る(般若の空観)の大乗の教説を示しました。)